3Dプリンタに想う

ASEANでのバンコク宣言がどれだけ効力を発揮するのか未知数だが、海洋に流出するゴミの対策指針を作っていくというのは一歩前進ではなかろうか。日本のようなジメジメした国では、生ごみなどを地べたに埋めると腐敗菌が頑張って、感染症の発生源となるから、ゴミは燃やすものとされてきた。昭和40年代ではそれが当たり前のように成されていて、山村においてもそれはきちんとなされていた。水辺にドラム缶が置いてあって、そこにあっちこっちの人がゴミを持って来ては燃やしていた。プラスチック製品が高価で捨てるものでは無かった時代だ。

小生が名古屋にやってきて間もなく、学内の焼却炉も撤去された。青年(?)教務委員として、教室会議で「重要書類は溶解処分、その他は回収されるまでストックして、段ボール、一般紙等分別してください」とI教育類長の議長の元、報告したことをはっきりと覚えている。ダイオキシンを出さない大学になったのだなと、気分がすっきりした。生ごみを燃やしたのは感染症予防のため、プラスチックを燃やすのは、単に邪魔者を消滅させるため。この差は随分と大きい。

石油由来のプラスチックであるから、焼却すれば当然のことながらCO2をじゃんじゃか出す。地球温暖化まっしぐらである。昭和の代にはあまり聞いた覚えの無い単語である。いや、むしろ、ガマの油地方に居たので、冬が暖かくなって欲しいくらいに暢気なことを考えていたのかもしれない。赤道の揺らぎで地球の地域的温度変動が発生するのは当然の事だから、温暖化議論が始まった時も、地球の変動なんじゃないのくらいに思ったことも、情けない事に事実である。

メタンハイドレートの研究者が「海から採掘に失敗して、メタンハイドレート層に海水が接触した途端に、あっという間に平均気温は40℃を突破する」と言った時、目が覚めた思いがした。地球の過去の出来事と、人間活動の温暖化という現象が重なり合った。2000年に至っていなかった頃で、身の回りにプラスチック製品を置かない努力をしてきたのだが、今現在、プラスチック製品を生み出す3Dプリンタに頼り切っている自分が居る。う~ん、何という事だろう。やっぱり便利に勝てないのかと、旋盤、フライスを回しつつ、人間のあるべき姿って一体何なのだと、今更ながら苦悩する私であります。

人生と木製品

脱プラスチックを目指してみたいみたいな事を言ってみたものの、ネットクリックで購入した物品が届けば、そこにはプラスチックの外装が・・結局、こう言う事なんですよね。ぱっと目に付く木製製品は、スピーカーとか革製品を磨くブラシとか、電蓄とか、そんなものしかありゃしない。定規だって、いつかはきっとゴミになっちゃうんだろうなぁ。気が付けば竹の定規はどっかに行ってしまっているしね。

何しろ、子供のころからプラスチックに囲まれてきましたからね。違和感なく使ってきているわけだから、急に止められるかと言えばそうではない。昭和30年代に作られたWestern Electric 555W用のホーンがあるんだけど、それなどは木と鋳物で出来ている。音圧の掛かる部分は鋳物で作ってあって、今でも頑丈に音色を伝えてくれる。きちんと作られた物は、やたらと長持ちだ。そして価値は色褪せない。この価値が色褪せないことが重要だ。

木製品だから、恐らく、作り立ての状態とは色見は変わるだろう。風合いと呼ぶ方もいるが、小生はそんなものは気にしない。それが発する価値が褪せないことが重要なのだ。信頼に約束で答えてくれる。それが褪せないからこそ、ずっとそこに鎮座しているのだ。褪せて居ない証拠に、クレデンザと対峙した後でも、納得の音味を醸し出す。褪せた、褪せないは感情ではいけない。絶対値が必要だ。

とは言うものの、人間がどんどん衰えていきますからね。ここにはバイアスがかかるわけですが、人間の衰えに合わせてくれればそれで良いわけです。マリアナ海溝の底に沈んでも、姿かたちを変えないプラスチックは、言わば化け物だ。便利と崇め奉られ、それを量産する金型の腕を競い合い、世の中に無限にプラスチック製品を生み出してきた世界。軽くて強く、自在に形を変える魔法の材料。魔法から解き放たれる日が人間にくるのかどうか。生きている間に体験したいものだ。

何度でもプラスチックネタ

人はエントロピーを増大させる生き物である。これは生きているという活動そのものが、固定化された動植物に熱エネルギーを与え、それを食し、代謝という熱発生を伴う活動によって生命を維持していることから自明である。なぁんてことを延々と論じるつもりはさらさらない。身の回りが一気に片付かない理由をエントロピー増大を阻止しようとする社会活動のせいにしたいだけなのだ。誰が?自分が(笑)

ちょっと汚れたプラスチックは焼却処理をする。品質が落ちるからというのが理由だそうだが、ゴミのリサイクルという活動そのものがエントロピーを増大させる活動であって、地球温暖化抑止活動とは全くもって質が違うことだということを認識しなければならない。ゴミの資源化に反対するものでは無い。ここは間違ってツッコミを入れられても「違うよ」と受け流すだけだ。ペットボトルなどはリサイクルをすればよろしい。出来るものはやればよい、しかしそこに莫大なエネルギーの投入があることを一般民間人は認識せねばならぬ。

牛乳パックという、極めて良質なパルプ資源を、コピー用紙に転換して、段ボールになって新聞紙になって、そこからリサイクル紙資源となって延々と回るプロセスも、凄まじいエネルギーを食うわけだが、それでも新しい樹木資源を破壊し続けるよりはずっと良いと思っている。ここでも樹脂などの問題で竹が単純に紙にならない悔しさはあるが、まぁ、良い事ではある。あるのだが、モノ根本を忘れてはならない。無くて良いものを作ってはならないということだ。

ノベルティ的なものが目の前にごろごろしている。止まったら二度と使うことの無い時計とかね。プラスチック製品が目の前に屍をさらしているのだが、プラスチックと金属の合体品で、捨てるのも面倒だ。リサイクル活動だって要らないものを作って使うから必要な活動になってくるのだ。エネルギーを大食いしてね。地球温暖化の抑止は無駄遣いの停止の勇気によってのみもたらされる。景気どうのこうのと叫ぶのか、ゴミになるものを作らないでも経済が回る仕組みを考えるのか。とっくにノーリターンポイントを過ぎてはいるが、そちらの方向に進んでいきたいとは思っている。個人の活動ではあるが、続けてみたい。

なりたい職業

日本語IME救済計画中にネットサーフィン(死語)をしていたところ、何故か目に着いたのが「大人になったらなりたい職業」という言葉。職業になりたいのか!と、当然ツッコミを入れるわけだが、大人になったらなりたいものなんてのもあって、こうなってくると、「ものになる」んかいと呆れるしかないですな。もっとも「大人になったらダムになりたい」なんて作文を書いた者としては、その通りと、これまたツッコミをいれるだけなのだが。

調査会社によって結果が異なるのは何故かわからないが、どうも聞いている年齢層が若干異なるらしい。らしいという不確かさは、誰から聞いたということが明記されていないからだ。親が自衛隊だと憲法違反だから悲しいという子供がいると、一国の首相がまた聞きで宣言してしまう国だから、情報源などどうでも良いということか。まぁ、それほど真剣に考える必要は無いのかもしれない。どんな職業に就きたいかを、中学生までに聞いてみるのは悪いことでは無かろう。

スポーツ選手や大工さん、ドライバーや宇宙飛行士に混じって、学者が出てくるのは有難い事だ。銭や政治家に頭を下げなくて良い人種は学者だけなのだから、将来、頼もしい限りである。正しいものは正しいのだと、感情的にならず論争出来ることは、素晴らしい事である。おおよそ、恫喝だけが論争の手法に成りがちなのだが、とても悲しい時間の過ごし方であると思うのだ。

ただ、学者ってやってみると結構苦しくて、何しろ自らの仮説がデータによって裏付けられないといけないのだ。出来ると思ってその通りになるかどうかは神様にどれだけ近づけるかということで、神様が作ったものを見出すまで、ひたすら耐えなければならないのだ。ゆるぎない信念なんて言うと聞こえは良いけど、折れたほうがどれだけ楽かと思う瞬間の積み重ねなのだ。それでも君は学者になりたいか?人間辞めますか、学者を辞めますか?人間辞めました。それだけのことだ。

IMEが無効です

最近、Windows10のアップデートが頻繁に行われ、気が付くとリセットが掛かって「自動保存ファイル」みたいな屍の列にあきれ返る。100LX世代の人ならわかると思うけど、ディスクのゴミは忌むべきものであって、システムの都合でどんどこ作られたのではたまったものではない。溜まってはこまるものでたまらないなんてのは全くもってしゃれにならないのだ。

しゃれにならない代表格が、会議を終えて席に戻ってみると、日本語の入力ができくなっている。もう少しちゃんと言うと日本語IMEが起動できなくなっている状態に出会う。半角という日本独特の妖しいキーをタッチすると、『あ』とか出て来て日本語IMEの起動を認識できるのだが、それが出来なくなる。システムの問題かと思ってBIOSを覗いても関係するものなどある筈もなく、結局、設定の深みから救い出すことになる。こんなことを会議が終了するたびにさせられたのではたまったものではない。

特定のPCだけかなと思っていたら、受付、教授室、モバイルの皆さん全員の状態が同じになっている。これはもうマイクロソフトによるテロと認定するべきであろう。ログインネームが同じだから、デスクトップ環境が同一になるのは当たり前で、まぁ、驚くことでは無いんだけど、どうも周囲でその声が聞こえないのがちょっと気味が悪い。

ネットの海に乗り出してみると、どうやらご同輩がいらっしゃって、同じ解決法をとっている。何かと関係しあって発生する事象らしい。大昔はconfigファイルとか、autoexecファイルとか、いじりまくって日本語IMEの起動にしのぎを削ったものだが(大げさ)昨今、そんな話は聞いたことが無く、ただひたすらにやる気が綯えるだけなのである。鉛筆の芯は見えているのに、ノートに文字が記されないというような状況になる。嫌になる。別の事を書こうと思ったのだけれど、いきなり日本語IMEが立ち上がらなかったので、単なる不平不満になってしまった。これも戯言である。

野間崎灯台にて

自然の家から1.6km位のところに(2㎞?)野間灯台がある。灯台というものが妙に昔から好きで、銚子とか観音崎とか、日本最古の西洋式木造灯台である旧福浦灯台とか、灯台というだけで、ムキになって見学に行くという灯台ファンである。今回の旅においても灯台見物は楽しみの一つであった。
行って知るということが結構あって、野間灯台だと思っていたら野間崎灯台だったりとか、大正10年設置で愛知県最古だとか、妙な知識を得てきましたな。

何気なく行ってびっくりしたのが「恋人の聖地」なのだとか。早朝だったこともあって小生が一人で鐘を鳴らして面白がった後で、その鐘がカップルが二人で鳴らすモノだと知り、呆れてしまった。ここまで人寄せするか?景色が良いねくらいではダメなものかしら?最古の灯台から伊勢湾に沈みゆく夕陽を眺めるくらいで良いではないか。音が出る代物は小樽の駅で懲りているのだが、野間崎灯台の金は、ハンマーが樹脂(ここにもプラスチックが!)コートされていて、大きな音が出ないのがかえってしょぼい。

加えて、南京錠がだだだっと付けられている。こうなってくると、もう、笑うしかないですな。そんなことしないといかんのかい?と呆れてしまう。小野浦海岸の看板から灯台まで結構あるのですが、実のところ最近マイブームのフナムシを探しに行ったのですが、季節的なものなのか、全く居なかった。まさか、ちょっと不気味なフナムシを恋人の聖地ということで全滅させたわけではあるまいなと、人間のやることは余りにも恐ろしいので油断はできない。

野間崎灯台から自然の家に戻る途中に、先日の「岩吉・久吉・乙吉頌徳記念碑」に出会った次第。歩けばその土地を好きになる。どんな路地であっても歴史があると愉快になれる。土地を好きになるためには歩かねばならない。車など必要ない。神宮前から内海駅までは、地味な鉄道だなと思ったわけですが、いやいやどうして、知多半島は面白いですよ。ただ、残念なことに、内海駅から自然の家方面にバスが出ていないこと。自然の家の近くからは巡回ミニバス自然号というのが走っているらしいのですが、来るかどうか判らないし、野間駅にしか停まらない。丁度中間にある小野浦海岸という文化の香り豊かな土地をもっと大切にして頂きたいものだと、名古屋鉄道さん、なんとかしなさいよと、日本の公共交通機関の悲しさと虚しさを肌で感じた私であります。

小野浦海岸から陸に上がったところに「まちの駅」というのがあって、食と健康の館と銘打っている。こちらは過去、2度程行ったことがあって、流下式枝条架塩田が作られている。自然の家の弟子のH君の話によれば、自然の家に宿泊した小学生達に塩づくりの体験をさせるのだそうで、かなり驚くということだ。小生はこの施設をTV番組で拝見し、すぐさま見に行ったと記憶している。

能登半島では今も揚浜式塩田で塩づくりをしているので、天然塩田が国内に無いわけではない。そうなのだが、この流下式枝条架塩田は愛知県下では唯一だし、名古屋から1時間ちょっとで見学できる場所であるから、「学び」という点においては優れた施設だと思う。内海駅から歩いて行ける場所にあり、山歩きの想い出と共にセットで体験は如何であろうか。

ここの塩は購入出来て、実際に使ってみると能登の塩とは違った味がして面白い。どちらがどうということは、個人の好みなので度外視するとしても、元来が、海に居た生命である人類だから、海のミネラルを多く含んだ自然海水の塩を積極的に用いるべきだというのが小生の考えである。小豆を炊いて一つまみの塩でも随分と食味が変わると「意識的」に思っている。

早朝であったので残念ながら塩田の操業は見られなかったが、その「まちの駅」の一角にある体験所の看板に「海のごみも もとをたどれば 街のごみ」とあったのが極めて印象的であった。塩という人間に必須の成分を蓄える場所を、積極的に汚しまくる人間の都合。脱プラスチック。達成しなければならない。

聖書初翻訳

自然の家は小高い丘の上に建ち、「リーダー室」では無いサイドからはオーシャンビューが楽しめる「そうだ」。早朝に砂浜を散歩していた小生を学生達が窓から見ていたというのだから、オーシャンビューを楽しめるのであろう。「リーダー室」からは小汚い野球グラウンドが見えるくらいで、面白くもなんともない景色で嘆息出来る。その自然の家からは5分も歩けば小野浦海岸に出られる。

美浜町は昭和30年代の合併で生まれた町であって、江戸時代は自然の家のあたりは尾張国知多郡小野浦村であった。実は小野浦海岸こそ、小生が名古屋に移ってきて最初に行った海水浴場であり、今回もそこに立ち寄ることが出来て、とても懐かしく、そして嬉しく思ったわけだ。小野浦海岸にて傘を差しながら、鳴海駅で購入したおにぎりを食べたほどだ。で、その昔から「日本初和訳聖書」という看板の文字が気になっていた。

アメリカワシントン州へ漂流した小野浦の千石船「宝順丸」の乗組員、音(乙)吉、久吉、岩吉の3人が、異境を放流中にドイツ人宣教師ギュツラフと協力して日本初の和訳聖書を完成させたという顕彰碑が建てられている。この音吉という方は、鎖国中の出来事であったため、漂流で異国に着いてしまったという事で罪人となり、帰国が許されなかった方である。その遺灰を2005年に173年ぶりに故郷の良参寺に埋葬したということで碑が建てられている。

シンガポール在住の際には、幕府の遣欧使節団である福沢諭吉に会っているそうだが、随分と見下した対応だったらしい。人の上に人を作った諭吉らしい態度だなと思う次第である。今回の旅で聖書初和訳という意味が解り、鎖国の惨劇、身分という人間が勝手に作った愚かな代物に吐き気を覚えた。そうであってはならないと、自らの戒めにしていこうと思った次第である。

野間古道

内海というところにお世話になったわけですが、これが内陸の駅で、ホームから海なんか見えないわけですよ。地図を見ればわかるんだけど、なんかその名前から海際の駅みたいなところを想像していったら、全く違って驚いた。初めていくところは、早めの徒歩散策と決めているので、雨だろうがなんだろうが、車組を尻目に歩く。駅の近くに梅原猛先生が、仙台から昭和初期に移ってこられたお宅が残る。演繹と帰納を見事に使われる哲人を形成した場所が内海であるということに感銘を受ける。ホームの下の狸にはやや驚かされるが、内海はなかなかにして良いところと感じる。

駅から半田南知多線という大通りを素直に進めば600m程度で海なわけで、千鳥ヶ浜海水浴場というところに出られる。そこへのアクセス鉄道としては贅沢とも言えるのかもしれない。しかしそれをやってしまうと面白くもなんともないので、自然の家への最短ルートの山道を選んでいくわけだ。細い路地を進むと廃業している味噌醸造所などに出会える。こんな発見こそ、醍醐味である。ちなみに梅原猛先生のお宅も代々の醸造業であった。最盛期には13件もの味噌・醤油醸造所があったそうな。

少し行ったところに知多牛工房がある。閉まっていて中を覗くことはかなわなかったが、予約をしてから行くところらしい。そこを過ぎるといよいよ登りの杣道となる。これこそ近道の神髄である。駅から10分も歩けば、そんなところに出会えるところが知多半島の良さと言っても良いのではないか?やたらと便利な都会とはまるで違う楽しさがある。

早朝散歩で分かったことだが、野間古道として、野間から内海へ抜ける古道ということなのだそうだ。内海峠までだらだらと登りが続き、切通しなどに出会うことが出来、歴史を感じることが出来る。木が覆いかぶさっているところがあり、利用が多いとは思えないが、それだけに散策路としては一級品と言ってもよいであろう。夏の虫が多い時期には行きたくないが、内海の想い出としては十分な古道であった。

内海にて

鶴舞大学には社会人と一般学生が学ぶ大学院コースがあって、短期集中型で単位を取得するために、合宿形式の講義もある。そのお仕事で知多半島にある愛知県美浜少年自然の家というところにお世話になりました。お世話になったついでと言ってはなんですが、長い事、知多半島に出掛けているにも関わらず、殆ど話題にしたことが無かったので、折角なので、知多半島の内海でのいろんな出会い等々のお話をしてみようかと。

知多半島に出掛けるというよりも、セントレアからどっかに行くという感じで、知多を意識して観光することはあんまりない。知多四国八十八か所巡りの1番札所が近所(という程でも無いけど)にあって、何度かやってみようかなとは思いつつ、立ち寄ったこともない。で、何でかなと勝手に想像すると、車で行くと道路が混むという想い出しかないのだ。背骨の部分に知多半島道路があり、海沿いに海水浴場を結ぶ道路がある。地元の人はいろんな抜け道をご存じなんでしょうけれど、夏も正月もやたらと混む。

今回、自然の家にお世話になるという事で、公共交通機関で行ってみた。内海駅経由で行くわけだが、その内海までがこれまた大変。神宮前から直通で行けるわけだけど、土日だと1時間に3本しかない。各駅・急行・特急が1本ずつ。富貴まではそこそこ快調に特急は進んでくれるわけだけど、富貴から分岐すると単線に化ける。化けると特急なのに待ち合わせ時間調整が入る、まるで秋田新幹線のようだ。

これだともう一度行ってみようかなという気に全くならない。(怒られるか?)自然の家と言いながら、ホームページを見ると「車で行くことが前提」となっている。これではねぇ?内海駅から徒歩35分(小生で)。山道を雨の中、歩くところでは無いな。名鉄がもうちょっと本数があって、快適に走ってくれるともっとお客さんは増えるのだろうになと、ちょこっと残念な名鉄知多線でありましたな。