戦略考

とあるところでのお話なんだけど、戦略立案部局における合否判定というか、よく頑張りましたと褒められるかどうかの指標が、その戦略が採択されたかどうかであると。戦略を創る担当者からすると、それが正しいKPIみたいに感じてしまっているらしい。企業でも、ミッションを意識してそれを達成する為に起業して、そのミッションの上に共有するビジョンを策定し、そのビジョンを達成する為に戦略を立てるところまではいく。で、どうなの?

どうなの?というのは、戦略を分解して、定量化して、それを達成する為の戦術を立てて進めていきましたとなった時に、戦術の結果「こうなりました」と結果が出たら、それは戦略が求めたものなのかどうなのか、どうやって判定するのというところまで考えられてない。戦略を立てた人間達は、大抵老人で、どうせ居なくなってしまうからと、戦略にKGIを盛り込まないからだ。

マイルストンも感性というか、定性的で、KPIまで定性的。そんな戦術しか立てられない人が戦略を立てるなんてそもそも無理なのだ。KGIなんて聞いたこと無いとかね。そんな人に何故に時間を奪われなければならないのか。戦略を通して何を実現したいのか、その実現した様はどのように明らかになるのかまでをセットで提言が成されない。我が国の悪癖である。

戦略は目指すところがある筈で、自組織のミッションだからこそ立案するのだから、自組織がどうなったら戦略を立案した結果だと言えるのか、微分値を定量的にKGIに盛り込むべきなのだ。微分値を表現出来ないリーダーは要らない。そんな人間は戦略などと語ってはならない。だからこの国には政治が無い。そう感じている。