気がつけば6月も最後の日ですな。何やら怪しい伝染病があるらしいという話がネットでちらほら出てきて半年が経過、人類と経済との関係性、食料自給率の問題など、それこそ日頃これはまずいのでは無いのかと戯言で、それこそ「たわごと」を言っていたことが現実に起こってしまった感がある。まだ収束したわけではない。全く無い。これからどどっと感染者は増えてくるだろう。これも勝手な想像だが、変態を続けるウイルスのことだから、人間の手に負えない状態のものもあるのかもしれない。
日本らしく鎖国を続けたおかげで、型の異なるウイルスの流入はある程度防げていたのではないか?目に見えないからこれも勝手な想像になるのだが、いよいよ海外との扉を広げ、世界と物理的行き来が始まるわけで、こうなってくると、どうなることやらである。食料品の輸入もあろう。電子機器に張り付いて入ってくるかも知れない。このように疑い始めると、もう何も出来なくなってしまうわけだが、さりとて、いきなり「空気が欲しい」と倒れるわけにはいかない。
昨日の続きではないのだが、やっぱり誰のせいでもないのだ。目に見えないのだから、何を言っても想像になってしまう。しかも主観的想像だから始末が悪い。客観的データなど何処にも無いのだ。事実、感染経路が不明な感染者が毎日、報告の半数以上になっているではないか。米国の数万人規模からすれば圧倒的に少ないのは事実だが、比較などしている場合ではない。ゼロ人ではないのだから、恐ろしい数だと認識するべきだ。
今年の正月の時点で、今日のような社会情勢になっているとは思考が及ばなかったことが情けないわけだが、経験を積んだわけであって、これを無駄にしてはならない。泣き言ではなく、どうやって前に進むかである。46億歳の地球からすればほんの半年だが、100年しか生きない人間にとっては貴重で長い半年である。この間に得た経験とはなにか?じっくりと考えてみるべきだ。