新しい言葉の文化は何処に?

ずっと暗いニュースが続きますな。議員の逮捕だの国家間衝突だの。明るいお話を見出したいわけですが、それらを吹き飛ばすお話はなかなか出てこない、見つからない。天気まで再び暗くなってきたが、これは明日の土曜日から晴れ間が戻るらしいから、それは明るい話題と言うことに無理やり結び付けていきたいわけだ。晴れ間が明るいから、それが明るいニュースかと呆れていらっしゃると思うが、まぁ、それが戯言の本質なのだから仕方がない。

曇天の日は地下鉄を利用して職場と宿舎を行き来するわけだが、この時期、駅から大学までの間に、民家に咲くお花を見つけるだけで心地よくなるのです。花を愛でる方々がいらっしゃる。そのことがなんだか幸せを呼んでくれるわけですな。地面の割れ目からけなげに伸びるスミレが咲く姿も美しい。ほっとするのです。このほっとする瞬間こそ、元気の源、大切にしたい。

それは花だけではありません。「あれっ、この人、こんな一面があったのね!」と喜ばせて頂く事が沢山。そうであればその方々がもっと笑顔で、組織の大きな笑顔を生むようなありかたはどんなものだろうと、思案することで幸せが訪れるわけです。これは本当に嬉しいことで、きっと、誰もがお持ちの事と思うのです。それを素直に自らの宝物にするのではなく、公にして頂きたいのです。

人が出会うことが制限されているわけですが、表現が抑えられているわけではありません。こんな時だからこそ、深い言語文化の醸成に向けて歩き出したいなと、図々しく思ったのですが、そんな大それたことを戯言人間が出来るわけは無く、何処かの誰かがやってくれないかなと期待している、私であります。