梅雨に思う

梅雨の晴れ間は異様に暑い。湿度が高く風がなく、読書意欲を奪い去る空気感が凄い。であれば、何か他の事に集中しようとするが、額から汗が滴り続け、正に、滴るというレベルではなく、細めた蛇口の如くに汗が流れ落ちるのだ。こうなると、もう、願う作業は叶わない。はちまきなどの意欲もなく、まぁ、どぉにでもなれという、勢いだけの作業になってしまう。しかし、これが面白い。集中してきっちりとしたお仕事になるのだ。

まぁ、いろいろ思うところはあるのだが、当間だがコスト計算はしなければならない。いや、研究室の教員がコスト計算をしてはならない。当たり前である。百万時間の没頭が生む素晴らしさを知っている。体験している。そのコストなど思ったことはない。それを専業にする者がいるのだから、そいつらに任せれば良いのだ。専業の度合いあ低く、ご迷惑を撒き散らしていることには反省しきりなのだが、専門人事の存在価値は間違いなくある。

と・・人材派遣企業等々、甘ったれて逃げていたわけだな。現政権も、大企業の売上に貢献させるべく、期間従業員は5年で解雇すれば良いと決め、技術の伝承、新規技術の創出が、若い、フレッシュな頭脳から生まれても「解雇」という流れを肯定してきた。勿論、そのパターンだけではないのだが。必死に頑張り、明日はもっと良い仕事にチャレンジできる環境を共に創り出せる、小生が求める職場の有り様はそれなのだが、世の中はそれを求めることはない。

情けないことに、久しぶりに、この地域の小麦粉を打って、うどんを作り食べてみた。圧倒的な美味しさである。とある、添加物を極小にした製品を販売するマーケットのうどんで満足していたが、真実の前には自堕落であった。反省である。慣れは真実から自らを遠ざける。これは誰にとっても同じなのだ。「まつりごと」の恐怖は、慣れである。慣れない。だから新しい。挑戦を続けるのだ。それが小生のあり方である。止まっているようなら、ご指摘下さい。バトンはどうぞ、やってください。