都知事選

リーダーの資質みたいなご立派なお話ではない。それは著名な学者殿にお任せしておくとして、都知事選のお話。総理よりも強力なパワーを持つといわれる都知事なんだけど、それを実践したのは石原さんくらいかなとは思うのだけど、それを目掛けて20名もの人が立候補表明をしていらっしゃるという。これをどう考えるかなんだけどね。芸能人の売名行為ということもあるんでしょうけれど、国際都市東京の顔になるということを、なんか簡単に捉え過ぎなのではないかな?大河ドラマ俳優になるみたいな。

リーダーは大変ですよ。オリンピックを事例に挙げるまでもなく、あっちからもこっちからも雑音が入り、密室対話みたいなこともしなけりゃならない。綺麗ごとだけで済むわけないからね。ご当人が清廉潔白かもしれないけれど、過去の積み残しという恐ろしい負の遺産がどどどっと襲ってくる。トップに近いことをやってみると分かるよ。なんでこんなことになってんだ!って叫びたくなる。オオ様の耳はロバの耳なんだよね。

祀り上げられてしまうことはとっても不幸で、ちやほやされて、ひょっとしてその器なのかしらなんて思っちゃうのかな?本気で何かをやってみようという気持ちだけでは、首都大混乱のトリガにしかならない。ちゃんと任期期間内に何を成し遂げるかを定め、勿論、それは都民の為であるのは当然なんだけど、日本の表玄関の役割もになわなくちゃならない。とてもじゃないけど想像付かないですよ。話がでかすぎて。

でも、まぁ、ジャッジする力って凄いから、その力の源は得票数であることは間違いないんだよ。圧倒的多数で勝ったのならば、それを心の支えにして、当選しちゃったらジャッジするしか無いんだよね。八方美人は最低で、一点突破を覚悟を決めてやっていく。最近、政治の世界でそんな痛快劇を拝見したことが無いので、是非とも実践していただきたいものだ。国政よりずっと面白い都知事選である。ちょっとの間、楽しませて頂くことにする。

ギガキャスト

世に知られたレミングサイクルだが、限られた土地の企業群にも同じことが言えるのかなと、ふと思った次第。レミングが成長できる外部環境が整うと、産めよ増やせよでどんどこ増える。増えると捕食者がやってきて、それも増える。捕食者が増えるとレミングが自己増殖臨界点を割り込んで、今度はレミングが減っていく。すると捕食者も飢えて減り、他に移っていく。

メガキャスティグがあるならギガキャストということで、鋳込みとプレスの違いこそあれ、一体で大きなものを作ってしまおうという流れ。高速道路で運べない程の巨大機械を用いて、工程を減らし、コスト減を達成し、その分、コストを掛けるべきところに掛けて行くということなんだけど、右へ倣えで一気に進んでいく。自動車と言う「アメ」をぶら下げられて、もろ手を挙げて進んでいく。必要なプレーヤーは少なくて良いのに、無尽蔵に増えていく。

するとその巨大機器を造るお企業様もその関係方向に突っ走って、いずれ滅びるのだろうなと思ったりもするのだが、人類の浅はかさでレミングサイクルを辿るのだろうなと、眺めているわけですよ。SNSで拝見するだけだから真実かどうか分からないけれど、C国のEV墓場とかね、明らかに造り過ぎで売れないEVがどどどっと並んでいる。どれだけのエネルギーを無駄にしているのか?レミングサイクルのどの段階なのだろう?

型が大きく成れば型屋が儲かるだろう、それに関係する機械は高値で売れるだろうというストーリーを描きがちだが、100点以上の部品の溶接を取りやめ、部品作りも止めたコストが大型の型に全てが向けられるか?Noであろう。付き合えば付き合うだけ、骨身を削る競争に入っていくのだろう。自動車産業そのものがマスプロダクションかマスカスタマイゼーションの二極化に向かっている。マスプロで低価格・短納期をいつまでやり続けるのか。レミングの行方が気になる今日この頃である。

ツマラナイ

昨日の暴風雨がへし折った街路樹の太い枝が痛々しい朝である。まぁ、日本中、世界中で発生している大洪水からみれば小さなことかもしれないが、その小さなことも積み重なるととんでもないことになる。このくらいで済んだことに感謝しようと、濡れた路面に落ちた枝葉に気を付けながら自転車を漕ぐわけだ。この季節、晴れれば実に快適である。愉快である。

運動はよろしい。日中は視線と指先しか動かさない、極めて非人間的な活動に終始するわけで、こんなことはAIさん、やって頂戴と思うわけだが、お仕事の判断事をいつまで人間がやらねばならないのかと、とっととシンギュラリティにやってきていただいて、山にこもって思索にふける仙人生活としゃれこみたいものだ。とかくこの世は住みにくい。

地球環境が劇的に変化しているように感じるのだが、人間の頭の中が全く追いついていっていない。地球環境にやさしいエンジン開発と、結局は経済活動の為の道具を爆発的に作りまくって、今の機械を置き換えていくだけでしょうが。以前から言っているが、自転車通勤でマスクレスは極めて不快。マスクのおかげで喉がやられずに職場までやってこられる空気汚染を自動車がやっていることを忘れてはならない。

自動車という生産物が世界中で「はい、おしまい」とさせてみたい。どんな面白い世の中になることか。人が人として脳みそをフル回転させ始めるのではないか?あるものを改良しようとするだけで、ちっとも変わろうとしない。教育も経済もちっとも変わろうとしない。これほどツマラナイことがあろうか。面白くしてみたいものだ。

提案は

大雨である。昨日は思ったよりはおとなしい雨模様で、新幹線は遅れることはなかったのだが、東海道線の遅延のおかげで、想定通りの現地到着となったことは、まぁ、予定調和だね。多くの新しい研究を拝見するにつけ、これが出来たら凄いなぁと思うのだ。思うのだけど、書面で見るのと聴かせて頂くのとは大違いで、書面では満点でも聴いてしまうと「あんたこれ出来ないでしょう」ということが露呈してしまう。聴き力の強さということかもしれないけどね。

日本はマテリアルだなとは思うのだけれど、なんというか、いろんな手法があるのだけれど、全く新奇ということは無く、再挑戦というものが出てくる。それは悪いことではない。AIによる場合の抽出もあるし、機器そのものの精度が上がったりね。だから温故知新で今の技術で再挑戦ということは悪いことではないのだ。むしろ真剣に取り組んだけど、思ったようにならなかったものを引っ張り出して、今、改めてやってみるのも良いのだ。

SDGsの方向性は間違ってはいないのだけど、大国が無尽蔵に電気自動車を作って、発電機を無尽蔵に作って、結局、エネルギーを運動エネルギーに換えて、最後は熱になって大気中に放出されるって考えないのかな?エントロピーは必ず発生して、それは温度上昇に繋がるのだ。自動車は鉄だしね。猛烈に温度を上げて、溶かして冷やして固めるのだけど、その冷やすという行為は地球を暖める方向にしか行かないのだ。

となると、いままであったけど、それを無くすというのがよろしいのではないか。そんな提案だったんだけど、残念だったなぁ。結局、これは任せられないだろうということに満場一致でなったんだけど、もうちょっとね。学者が「これは面白い!」ということではないのだから、もうちょっと責任もって提案してくれないと、評価・採決させられる身にもなってよと言いたくなる。提案するのはわがままであってはならない。当たり前なんだけど、そう思った一日であった。

脱占い

熱帯低気圧が発生した頃には、丁度、今日あたりが大雨の予測だったが、まぁ、占いレベルの段階においては脅かす方向がニュースとしては良かったということか、無事に移動出来て何よりである。国の研究予算建が前倒しになってきているので、その昔は最も自分の時間を獲得できたこの時期だが、密度高く公的な時間が襲ってくるわけだ。そんな時に暴風かもしれないと世界中の気象予測の競い合いのようなデータを見せつけられると、唯一の心の安寧を獲得できる新幹線移動中に不安の要素がやってくる。たまったものではない。

赤道付近の海水温が極めて高いということは、まぁ、当たり前なんだけど、日本近海の海水温がやや低いことは気休めにはなる。前線の活動は活発化するかもしれないが、そこにポンプの如く湿った空気を送り込む台風との相乗効果は、恐らくは真夏の頃の程では無かろう。この海水温が低くなっているというレベルが、どんどんと低下していくのだろうなと危惧している。日本近海の漁獲種を見るまでもないことだ。この春先に木曽方面に旅をしたが、4月中旬において中央アルプスの雪解けが激しく進み、木曽川が見たことの無い水位を呈していた。

近海の冷却は北海道の流氷を送ってくる冷却効果が大きいだろうが、ごく近海においては、山からの雪解け水の効果が大きいと、その昔の社会科科目の先生が仰っていたが、本当かどうかは定かではないが、まぁ、ミクロに見れば正しいのだろう。海水の量からすれば微々たるものだろうから影響は少ないだろうが、無いとは言えまい。入り組んだ入り江の環境にとっては大きなファクターだろう。世界中の氷河がどんどんと溶けていくと、その冷却効果が失われた時に、本当の温暖化と言うのがやってくるのだろう。

少雨で新潟地方の田んぼが干上がっているとか、様々な情報に触れるにつけ、何と言うか、100年の計で国家って手当てされているのかなと不安になる。児童手当がどうだとか言う前に、国家が国家として食糧をしっかりと確保できていますよということを約束できるような、土木から量子工学まで一気通貫で、学問レベルをエビデンスとして運営して頂きたいものだ。大声を挙げれば良いような、占いレベルの政治はもう終わりにして頂きたいものだ。

遥かなる開発

研究室で実験装置を動かしていて思うのだが、メカ的なものは本当に壊れない。エレクトロニクスは静電気一発でふっとんで、何千万円が墓標になっちゃったりするんだけど、自動乳鉢なんて、月~金で無停止状態で、モーターが熱くなったとしても燃えたりしないもんね。そりゃぁ、燃えちゃったらえらいことなんだけど、世界と戦っていると考えると、自動運転頼みになってしまうわけだ。この自動運転状態も重要である。

最近、空間的に離れた場所と2か所で同じことを目指して機械を動かしているのだけれど、同じ型の装置であっても出来上がりが全く異なるという状況になっている。片方は小生は全く見ることが出来ていないので、なんとも言えないのだが、当方の機械と同型のもので作業しているという。この同型というのが曲者で、何年もの差があって、同じ型式なんだけど、写真を見るとモーター周りのハウジングが違っていたりする。何しろ、メノウ製乳鉢・乳棒というのは一品ものでセットものということで、同じものが世界に二つとない。

結果がまるで異なるのだ。こんなことあんのか?というくらい謎めいているのだ。当初は高さ調整が違って混錬がうまくいっていないのではないかとかいろいろ考えたのだけれど、決定的な違いに関して当初から気になっていて、そこをクリアしていこうという方向で動いたわけだ。これなどは半導体産業に関わってきたからピンとくるものなんだけどね。当たり前の相違ということだな。

学生時代からやっていることで未だに悩む。だから技術を構築するという行為は面白いのだ。技術を構築する手法が研究ということなんだけど、その研究を支えるのが別の技術・道具だったりするので、その微妙な違いが、誤差範囲に収まるのかどうなのかを見定めなければ製品になっていかない。要するに研究と開発はまるで違うもので、開発に着手できると思っていても、まだ研究途上であったということも多々ある。これを乗り越えるといよいよ開発に向かっていける。関われることは有難いことである。

忍耐?

忍耐が流行っているようで、何かやらなくてはと思った時に、現状維持で切り抜けようとか、アンケートで外の意見を聞いて、それをエビデンスにして、今を何とかしようとするやり方。常に暴君と言われてきたわけだが、アンケートなんというものはエビデンスでもなんでもなく、過去の不平不満、不具合解決でしかない。挑戦という単語は引き出せないのだ。しかしながら、組織的にはなんというか、安寧感というか、誰も責任を取らなくて良い気になれるわけだ。

他大学のベンチャー規定などを調べてみると、房総大学さんなどは平成の終わりには、ベンチャー支援で知財を活用したいというときに、現金が無ければストックオプションを活用できるという定めを作っている。これは大学ではないが、Oさん細胞で有名になってしまった、小生もお世話になっていた埼玉の研究所などでは、ストックオプションで儲け度外視で起業させて、知財を活用しようという、そちらの動きにシフトしてきている。

死蔵している知財が沢山あって、維持費がとんでもないことになっているわけで、どうせ組織の重荷になるのであれば、ちょっとの可能性を作った方が良いではないか。それで停滞しきった日本の市場において、情報系を除いたコアテク系の企業が立ち上がってくるのは素晴らしいではないか。いきなり太平洋はできないわけで、小さな流れから取り組むのがよろしかろう。

結局のところリーダー論に戻っちゃうのだけれど、決心・決断はやらねばならない。みんなの意見を聞いてなんてやっていると、必ず船は迷走し沈没するのだ。漂着してどうにかなるかもしれないけれど、原住民に食い荒らされて終わっちゃうのだろうね。自らはこうありたいと思ってなったのでしょうから、その地位の人はやらねばならないのだ。

トップ考

トップの役目ってあって、兎に角、明るく前向きで無ければならない。何があっても挫けてはならない。人の前ではね。独りの時には泣いても愚痴を言っても良いのだけれど、人前でそれをやってはいかん。まぁ、それは自分が考えているだけで、一般論では無いけどね。外圧もあって、なかなか大変な大学経営である。

日本中の大学と言うか教育機関が恐れる2030年以降の受験生大減少時代。それまでにどんな経営で大学をきりもりするのか、大英断が必要になってくる。教職員諸氏も「今のままでなんとかなるだろう」と言ってはいられない。特に、今、50歳を超えた頃の先生方は、教育の場が無くなる可能性もあると、変革の覚悟でまつりごとに参加しなければならない。老害に振り回されてはならない。

AIツールの発展で、幼少の頃からベースとなる思考能力を高めることが可能になっている。学び続けなければならない。何を学ぶべきかは未来のビジョンから定めるべきで、求められるから学ぶということでは遅すぎる。興味を持ったものは、原理原則、原子・電子まで知り尽くさなければならない。AIがやってくれることは全てお任せで、この人ならではを持たねば無用の時代になる。いや、もうなっているのかもしれない。

どうも、若手が逃げ出しそうだと相談を受けたのだが、それってやっぱりトップがいかんのではないかと思ったりもする。上から目線で自らがアイデアを起草して挑戦しなければならない。挑戦は勇気がいる。しかし、成さねばならない。判断と決断。トップのお仕事である。のらりくらりでは生き残れない。そんな時代である。

やせた心

実質GDPが落ち始めたからかどうか分からないけれど、豊かな日本を目指そうという、何というか、概念的と言うか、啓蒙的と言うか、そんな講演会のお誘いが増えてきている。小生的には工学は笑顔の為にとずっと言い続けているので、余りにも当たり前すぎてどうリアクションしたら良いのか分からない。自社はこれを短納期・廉価で御社にお届けしますよということだけを川下企業は川上企業に強要してきた慣習が変わったとは思えない。

例によって引っ越しのお話も絡んでしまうのだが、価値観とか美意識とか文化とか、そんな意識で買い集めた書籍が続々と現れて、分子間力だけではなく、地域文化の発展の歴史とかね、本当に大切なところはそんなところにあるに違いないのに、無理やりの工学的アプローチで、公害を発生させたなんて議論はナンセンスだが、金銭至上主義をこのままつっぱしってもなと思うのだ。

カーボンニュートラルという議論だって、結局は、経済活動をより発展させながら、CNを達成させなければならないみたいな、企業が儲かり続けること、株と言う仮想空間でのゲームに浸って、それを工学は支え続けてきたわけだが、そろそろ知恵の高揚というか、人が人を幸せにする喜びというところを真面目に考えるべきである。

手元に「豊かな未来社会の共創」などというチラシが置いてあって、こんなもん、20年前に小生は学会でも授業でも話をしていたことだと、温故知新では無いが、昔のプレゼンを覗いてみても、豊かな未来社会の共創が儲けたお金を給与に反映させるにはという文字が浮かぶチラシをみて、結局はそこから脱却しないのだと、旧態依然の思考に驚愕する。やせた心だなと失笑するだけだ。

メタン濃度

温暖化がどんどん進み、日本の梅雨は、しとしとじめじめではなくて、どかぁんとした雨になるとのこと。日本は2009年に地球上の温室効果化ガスのリアルな状況を定量的に「観る」べく温室効果ガス観測技術衛星、通称GOSATを打ち上げ、今年中に3機目を打ち上げようとしている。観測データは公開されていて、地球の状況はどうなっているのかと眺めることが出来る。妙な言い方だが、CO2は堅調に増加していて、CO2だけ考えれば温室効果は2009年に比べて格段に増えている。もっと効果の高いメタンはどうかと言うとこれも赤道近傍で極端に増えてきている。

なんでメタンに注目したのかと言えば、コロナ禍中にシベリアの永久凍土が溶けて、人類が遭遇したことの無い細菌が大気に放出されるという話と共に、凍結された有機物が溶解によって腐敗して、メタンを放出し始めるという噂があったからだ。時々思い出していたのだけれど、そう言えばGOSATって、メタン観測も出来たんだったなと思い出し、公開されているデータを拝見したわけだ。

確かに増加しているのだけれど、絶対量としては赤道あたりにベルト状に増加しているのがわかる。大気に係る遠心力で、赤道付近に重いガスが集まっているのかと思ってしまう。最も太陽エネルギーが降り注ぐエリアに、熱エネルギーを蓄積できるガスが濃縮されていくのだから、温暖化の加速はより進むということだ。世界中でとんでもない嵐が巻き起こっている元凶がそんなところにあるのだとすると、CO2削減よりもメタンの排出量をマイナスにすることが効果的ではないのかと、リアルなデータを観ると思う。

人工衛星が地球上をくまなく検診しているんだけど、人類はその結果を正しい方向に活用しようとはしない。しているのかもしれないのだけれど、地球温暖化ガスは2009年以降、確実に増加している。そして、平均気温もそれにつれて上昇し続けている。相関関係はあるのだろうね。世界中でGDP向上競争をし続ける限り、活動により発生する熱エネルギーは減らないだろう。実質GDPを下げ始めた日本は、先進国で一番、温暖化ガスを出さない方向に向いているのかもしれない。生活に優しいか、地球に優しいか。気の持ちようかな?