ツマラナイ

昨日の暴風雨がへし折った街路樹の太い枝が痛々しい朝である。まぁ、日本中、世界中で発生している大洪水からみれば小さなことかもしれないが、その小さなことも積み重なるととんでもないことになる。このくらいで済んだことに感謝しようと、濡れた路面に落ちた枝葉に気を付けながら自転車を漕ぐわけだ。この季節、晴れれば実に快適である。愉快である。

運動はよろしい。日中は視線と指先しか動かさない、極めて非人間的な活動に終始するわけで、こんなことはAIさん、やって頂戴と思うわけだが、お仕事の判断事をいつまで人間がやらねばならないのかと、とっととシンギュラリティにやってきていただいて、山にこもって思索にふける仙人生活としゃれこみたいものだ。とかくこの世は住みにくい。

地球環境が劇的に変化しているように感じるのだが、人間の頭の中が全く追いついていっていない。地球環境にやさしいエンジン開発と、結局は経済活動の為の道具を爆発的に作りまくって、今の機械を置き換えていくだけでしょうが。以前から言っているが、自転車通勤でマスクレスは極めて不快。マスクのおかげで喉がやられずに職場までやってこられる空気汚染を自動車がやっていることを忘れてはならない。

自動車という生産物が世界中で「はい、おしまい」とさせてみたい。どんな面白い世の中になることか。人が人として脳みそをフル回転させ始めるのではないか?あるものを改良しようとするだけで、ちっとも変わろうとしない。教育も経済もちっとも変わろうとしない。これほどツマラナイことがあろうか。面白くしてみたいものだ。