明日を想う

ネットニュースをながめていると、今まで当たり前であったことがそうでは無いことが明確になる。自らはもの凄く頑張っているつもりで、契約更新だろうと思っていたら、社会が圧倒的に進み過ぎて、ごめんなさいということになる。ここまでのお話で、あぁ、お前は悪い奴だと仰る方に申し上げたい。貴方は今日の、たった今、税金を使って生きている価値があるのですか?要するにそういうことだ。

社会は言う。明日の価値が無いならば、国民は認めないと。小生は思う。そんな奴は国民ではない。要するに、天下国家は今、明日では無いのだ。それは企業が考えることで、学者はもっと先でなければならないのだ。しかし、マスコミも為政者も、今、銭に転換出来ることのみをイノベーションと呼び、それだけを尊ぶ風潮が消えない。こう書くと、何だか擁護者のようだが、それは全く見当違いだ。基礎とは未来である。重箱の隅では無い。

解りやすく言えば、基礎学問として表彰されるような方々は、即ち、素晴らしいのだ。要約を頂ければ、そりゃぁすごいとなるのだ。こんなに凄いから、なんとかしろというお話は、経験上、あぁ、そうですね、社会は受け入れないのですねとなる。瞬間最大風速的に素晴らしい研究も、グローバルな競争下で、次から次へと要求が厳しくなる世界においては、昨日の知財は今日のゴミである。大事に温めて頂いても、何も産まれない。

大学は変わっていく。去年とも、この3月ともまるで違う状況にある。自らの学理が天下を従えると仰るならば、具体的に示して頂けませんか?関わるお企業に「もう要りません」と裏で言われながら、最高だと叫ぶのは如何なものか。これは誰しもが自戒するべきなのだが、時間の流れが自分と世界とで全く異なることに気が付かないのだ。今に固執されるのですね、そうですか、さようなら、明日を語る方々と、未来に挑みます。そんなもんだ。