人生と木製品

脱プラスチックを目指してみたいみたいな事を言ってみたものの、ネットクリックで購入した物品が届けば、そこにはプラスチックの外装が・・結局、こう言う事なんですよね。ぱっと目に付く木製製品は、スピーカーとか革製品を磨くブラシとか、電蓄とか、そんなものしかありゃしない。定規だって、いつかはきっとゴミになっちゃうんだろうなぁ。気が付けば竹の定規はどっかに行ってしまっているしね。

何しろ、子供のころからプラスチックに囲まれてきましたからね。違和感なく使ってきているわけだから、急に止められるかと言えばそうではない。昭和30年代に作られたWestern Electric 555W用のホーンがあるんだけど、それなどは木と鋳物で出来ている。音圧の掛かる部分は鋳物で作ってあって、今でも頑丈に音色を伝えてくれる。きちんと作られた物は、やたらと長持ちだ。そして価値は色褪せない。この価値が色褪せないことが重要だ。

木製品だから、恐らく、作り立ての状態とは色見は変わるだろう。風合いと呼ぶ方もいるが、小生はそんなものは気にしない。それが発する価値が褪せないことが重要なのだ。信頼に約束で答えてくれる。それが褪せないからこそ、ずっとそこに鎮座しているのだ。褪せて居ない証拠に、クレデンザと対峙した後でも、納得の音味を醸し出す。褪せた、褪せないは感情ではいけない。絶対値が必要だ。

とは言うものの、人間がどんどん衰えていきますからね。ここにはバイアスがかかるわけですが、人間の衰えに合わせてくれればそれで良いわけです。マリアナ海溝の底に沈んでも、姿かたちを変えないプラスチックは、言わば化け物だ。便利と崇め奉られ、それを量産する金型の腕を競い合い、世の中に無限にプラスチック製品を生み出してきた世界。軽くて強く、自在に形を変える魔法の材料。魔法から解き放たれる日が人間にくるのかどうか。生きている間に体験したいものだ。