何度でもプラスチックネタ

人はエントロピーを増大させる生き物である。これは生きているという活動そのものが、固定化された動植物に熱エネルギーを与え、それを食し、代謝という熱発生を伴う活動によって生命を維持していることから自明である。なぁんてことを延々と論じるつもりはさらさらない。身の回りが一気に片付かない理由をエントロピー増大を阻止しようとする社会活動のせいにしたいだけなのだ。誰が?自分が(笑)

ちょっと汚れたプラスチックは焼却処理をする。品質が落ちるからというのが理由だそうだが、ゴミのリサイクルという活動そのものがエントロピーを増大させる活動であって、地球温暖化抑止活動とは全くもって質が違うことだということを認識しなければならない。ゴミの資源化に反対するものでは無い。ここは間違ってツッコミを入れられても「違うよ」と受け流すだけだ。ペットボトルなどはリサイクルをすればよろしい。出来るものはやればよい、しかしそこに莫大なエネルギーの投入があることを一般民間人は認識せねばならぬ。

牛乳パックという、極めて良質なパルプ資源を、コピー用紙に転換して、段ボールになって新聞紙になって、そこからリサイクル紙資源となって延々と回るプロセスも、凄まじいエネルギーを食うわけだが、それでも新しい樹木資源を破壊し続けるよりはずっと良いと思っている。ここでも樹脂などの問題で竹が単純に紙にならない悔しさはあるが、まぁ、良い事ではある。あるのだが、モノ根本を忘れてはならない。無くて良いものを作ってはならないということだ。

ノベルティ的なものが目の前にごろごろしている。止まったら二度と使うことの無い時計とかね。プラスチック製品が目の前に屍をさらしているのだが、プラスチックと金属の合体品で、捨てるのも面倒だ。リサイクル活動だって要らないものを作って使うから必要な活動になってくるのだ。エネルギーを大食いしてね。地球温暖化の抑止は無駄遣いの停止の勇気によってのみもたらされる。景気どうのこうのと叫ぶのか、ゴミになるものを作らないでも経済が回る仕組みを考えるのか。とっくにノーリターンポイントを過ぎてはいるが、そちらの方向に進んでいきたいとは思っている。個人の活動ではあるが、続けてみたい。