なりたい職業

日本語IME救済計画中にネットサーフィン(死語)をしていたところ、何故か目に着いたのが「大人になったらなりたい職業」という言葉。職業になりたいのか!と、当然ツッコミを入れるわけだが、大人になったらなりたいものなんてのもあって、こうなってくると、「ものになる」んかいと呆れるしかないですな。もっとも「大人になったらダムになりたい」なんて作文を書いた者としては、その通りと、これまたツッコミをいれるだけなのだが。

調査会社によって結果が異なるのは何故かわからないが、どうも聞いている年齢層が若干異なるらしい。らしいという不確かさは、誰から聞いたということが明記されていないからだ。親が自衛隊だと憲法違反だから悲しいという子供がいると、一国の首相がまた聞きで宣言してしまう国だから、情報源などどうでも良いということか。まぁ、それほど真剣に考える必要は無いのかもしれない。どんな職業に就きたいかを、中学生までに聞いてみるのは悪いことでは無かろう。

スポーツ選手や大工さん、ドライバーや宇宙飛行士に混じって、学者が出てくるのは有難い事だ。銭や政治家に頭を下げなくて良い人種は学者だけなのだから、将来、頼もしい限りである。正しいものは正しいのだと、感情的にならず論争出来ることは、素晴らしい事である。おおよそ、恫喝だけが論争の手法に成りがちなのだが、とても悲しい時間の過ごし方であると思うのだ。

ただ、学者ってやってみると結構苦しくて、何しろ自らの仮説がデータによって裏付けられないといけないのだ。出来ると思ってその通りになるかどうかは神様にどれだけ近づけるかということで、神様が作ったものを見出すまで、ひたすら耐えなければならないのだ。ゆるぎない信念なんて言うと聞こえは良いけど、折れたほうがどれだけ楽かと思う瞬間の積み重ねなのだ。それでも君は学者になりたいか?人間辞めますか、学者を辞めますか?人間辞めました。それだけのことだ。