野間崎灯台にて

自然の家から1.6km位のところに(2㎞?)野間灯台がある。灯台というものが妙に昔から好きで、銚子とか観音崎とか、日本最古の西洋式木造灯台である旧福浦灯台とか、灯台というだけで、ムキになって見学に行くという灯台ファンである。今回の旅においても灯台見物は楽しみの一つであった。
行って知るということが結構あって、野間灯台だと思っていたら野間崎灯台だったりとか、大正10年設置で愛知県最古だとか、妙な知識を得てきましたな。

何気なく行ってびっくりしたのが「恋人の聖地」なのだとか。早朝だったこともあって小生が一人で鐘を鳴らして面白がった後で、その鐘がカップルが二人で鳴らすモノだと知り、呆れてしまった。ここまで人寄せするか?景色が良いねくらいではダメなものかしら?最古の灯台から伊勢湾に沈みゆく夕陽を眺めるくらいで良いではないか。音が出る代物は小樽の駅で懲りているのだが、野間崎灯台の金は、ハンマーが樹脂(ここにもプラスチックが!)コートされていて、大きな音が出ないのがかえってしょぼい。

加えて、南京錠がだだだっと付けられている。こうなってくると、もう、笑うしかないですな。そんなことしないといかんのかい?と呆れてしまう。小野浦海岸の看板から灯台まで結構あるのですが、実のところ最近マイブームのフナムシを探しに行ったのですが、季節的なものなのか、全く居なかった。まさか、ちょっと不気味なフナムシを恋人の聖地ということで全滅させたわけではあるまいなと、人間のやることは余りにも恐ろしいので油断はできない。

野間崎灯台から自然の家に戻る途中に、先日の「岩吉・久吉・乙吉頌徳記念碑」に出会った次第。歩けばその土地を好きになる。どんな路地であっても歴史があると愉快になれる。土地を好きになるためには歩かねばならない。車など必要ない。神宮前から内海駅までは、地味な鉄道だなと思ったわけですが、いやいやどうして、知多半島は面白いですよ。ただ、残念なことに、内海駅から自然の家方面にバスが出ていないこと。自然の家の近くからは巡回ミニバス自然号というのが走っているらしいのですが、来るかどうか判らないし、野間駅にしか停まらない。丁度中間にある小野浦海岸という文化の香り豊かな土地をもっと大切にして頂きたいものだと、名古屋鉄道さん、なんとかしなさいよと、日本の公共交通機関の悲しさと虚しさを肌で感じた私であります。