聖書初翻訳

自然の家は小高い丘の上に建ち、「リーダー室」では無いサイドからはオーシャンビューが楽しめる「そうだ」。早朝に砂浜を散歩していた小生を学生達が窓から見ていたというのだから、オーシャンビューを楽しめるのであろう。「リーダー室」からは小汚い野球グラウンドが見えるくらいで、面白くもなんともない景色で嘆息出来る。その自然の家からは5分も歩けば小野浦海岸に出られる。

美浜町は昭和30年代の合併で生まれた町であって、江戸時代は自然の家のあたりは尾張国知多郡小野浦村であった。実は小野浦海岸こそ、小生が名古屋に移ってきて最初に行った海水浴場であり、今回もそこに立ち寄ることが出来て、とても懐かしく、そして嬉しく思ったわけだ。小野浦海岸にて傘を差しながら、鳴海駅で購入したおにぎりを食べたほどだ。で、その昔から「日本初和訳聖書」という看板の文字が気になっていた。

アメリカワシントン州へ漂流した小野浦の千石船「宝順丸」の乗組員、音(乙)吉、久吉、岩吉の3人が、異境を放流中にドイツ人宣教師ギュツラフと協力して日本初の和訳聖書を完成させたという顕彰碑が建てられている。この音吉という方は、鎖国中の出来事であったため、漂流で異国に着いてしまったという事で罪人となり、帰国が許されなかった方である。その遺灰を2005年に173年ぶりに故郷の良参寺に埋葬したということで碑が建てられている。

シンガポール在住の際には、幕府の遣欧使節団である福沢諭吉に会っているそうだが、随分と見下した対応だったらしい。人の上に人を作った諭吉らしい態度だなと思う次第である。今回の旅で聖書初和訳という意味が解り、鎖国の惨劇、身分という人間が勝手に作った愚かな代物に吐き気を覚えた。そうであってはならないと、自らの戒めにしていこうと思った次第である。