共感で意識改革

情報共有って、して欲しいけどなかなか欲しい情報が集まってこない。二次、三次加工されていたりしてね。情報では無くて「私考」の伝達になっちゃうんですな。生データの迫力は凄くて、トップが時間を作って生データを「自分で眺める」意識改革は絶対に必要。データが生み出す経営者のDXですよ、今、社会で必要なのは。そんな意識改革こそニューノーマルなんじゃないかな?

情報共有なんだけど、結局のところ共有し合う人同士の共感の度合いだと思うんですね。共感させようと努力しないといけないし、共感して欲しい人が、極めて感性が低かったり、価値観が全く違うとかね。そうなってくると情報共有なんて殆ど意味が無くなってしまう。データの加工という観点においては「生データを持ってこい」と言っているのに加工したり、加工して欲しいのに生データをぽんと渡されたり。共感の度合いの低さが生む技ですな。

子供の頃にどれだけ絵本の読み聞かせを親からしてもらったか、三つ子の魂百までという奴だと思うのですよ。最初の共感がどれだけ深いかに関わってくるんじゃないかな?だからこそ、育休が大切で、それが許される社会で無いと、次の世代は育たないよね。これも経営者の意識次第。半日の休暇でも負い目を感じるような職場において、育休なんて獲得出来る筈はない。リモートワークが自在に出来ることが分かった社会なのに、完璧にリバウンドしようとしている。

ワクチンを接種したらリモートワークはゼロにしようなんて職場は、世界からそれこそ共感されないでしょうね。人の活動環境のDXを否定するようなリーダーは存在悪だな。既に職場には大量のデータが死蔵されていて、その活用という点においては、まずリーダーが時間を作って、それを眺める。意識のDXから。何も解析の専門家に任せる必要は無い。情報を脳に取り込んで活性化させる。そこからニューノーマルがスタートするんだと思う。そんなもんでしょう。