中村雅俊さん主演の青春ドラマ(古過ぎ)の中に、「オメダ」さんという役があって、これは「ダメ男」の、まぁ、ひっくり返したというか、「俺は何をやっても駄目なんだ」と、自虐自慢の役柄なんですな。自分で自分を貶めて、人から指摘される前に自分からの自虐発言以上のダメージから回避していく。痛みの加減が解る自分が自分を傷つける心の自傷ですな。と思っていたんですけどね。
こんな風に考えることも出来るのかなと。自虐するんだから、恐らくなんだけど、自己分析が出来ないということなのでしょう。何かの活動をしなければならないと、他所から指示が来た時に、それを実現する地力があるのかないのか自己判断出来ないから、「どぉせ駄目男だから出来ないよ」と口から出てしまうのではないか?
行動しないくせに人の批判をするのと等価だと思うのですよ。働くって漢字は良く出来ているなって思うのです。人が動くって。まず、動くってことは何かの目的が発現されたわけでしょ。それが指示されたゴールに向かった第一歩だとするならば、それは働き始めたということなんだと思うのです。これは全く自虐とは正反対。あがいてみて、それで駄目なら、そもそも力が足りなかったということであって、自虐する必要は全く無い。努力して、力を付ければ良いだけの事。
叱るだけとか、文句を言うだけとか。漫才にもならないやり取りというか、一方通行がみられるけれど、自己認識が出来ていない方の常套手段であって、そんな人のお話は聞く必要は全く無い。だって、他人を認識しようともしないのだから、何を言っても無駄なお方認定をさせて頂いて、接点を可能な限り希薄にするしかない。自虐はいかん、絶対にいかん。そう思ったりしたら、何に恐怖を抱いているのかそれを明確にすることだ。きっとそれはとても嫌なことだ。でも嫌なことが可視化出来たら、それは幽霊では無いから対処できる。必ず出来る。嫌なことから動き始める。それが働きであって労働だ。