ミス

ビジョンは常に発想し続けていないと、真実のビジョンには到達できない。個のビジョンであっても、学ぶことに謙虚でなければ、そこには決して到達しない。尊敬と謙虚、その心根を持つことは学びの原点である。そうであっても努力あるのみで、常に考える、考え続ける、そして忘却する、そしてまた刻み始める。その繰り返しである。

ミスはある。何故か?絶対的なビジョンなど無いから。ビジョンは動的で進化し続ける。しかし、それを決めつける。それは人間が「得失を決める」から。地球の営みに得失は無い。進化の必然はあっても、得失など無い。特徴しか無いのに、得失と言って価値づけしようとする。過去のビジョンでも良い。それを達成するためにはどうしたら良いか、何を認識すれば良いか、それを具体的に発想していかないと、ミスを繰り返す。

組織の中におけるミスは、指示者と行動を託された者とのゴール設定の認識の違いが大きい。ミスと判断するのは指示者であって、指示者が定量的に認識し合えるゴール設定をしておけば、そのゴールに到達していればそれはミスでは無い。しかし、到達しているにも関わらず、時間軸の進行によって「もっとこうあるべきだ」と指摘したとすると、それは梯子外しであって、指示者としての機能は無いと断定して良い。勿論、その者を雇用している長の責任なんだけどね。改善しなければならない。

仁者たれというのは極めて難しい。先が見渡せる者になればなるほど、広がっていく世界を追いかけようとする。すると今に留まる行為に対して、指示とは違う行動であるというような判断が成され、判断された側は恨みと憎しみのみを抱く。あぁ、組織とはなんと難しい生き物か。しかし、一歩一歩行く。それだけのことしか出来ないからね。それで良いのだ。