人骨について

山の奥深く、滅多に人が通らないような斜面の杣道で白骨になられた方に出会うことがある。あると言ってもそう滅多やたらとご対面とはならない。今年の5月に浜吉田で白骨化された方が地面の中から出てきて、あぁ、津波の被害にあわれた方かなと胸を痛めていたのだが、なんと、室町時代の女性だということが放射性炭素年代測定で明らかになったそうな。昨日、丁度、生命誕生云々の話題を振ったのだが、室町時代の女性とは。

当初、事件性の可能性もあって、警察が確保したそうだが、事件性が無いので発見された町に返還となるそうな。いったいどうするのか興味を持ちようが無いが、成仏出来るようにと祈るのみだ。興味本位で町の歴史館みたいなところで晒されることの無いようにして頂きたいなと。歯の状態から当時の食生活は推測出来るので、そんな情報は後世に伝えるのが宜しい。定量的な歴史を持つ民族は強い。うやむやの歴史に形作られた日本の弱さを払しょくしたいものだ。

結局のところ、今年も山には行けずじまいであった。行ったら行ったでなんじゃいなということではあるが、孤立無援で孤独を味わうには、正に人が滅多に歩かない山は最高である。無理に孤独を求めてうろつく必要はないのだけれども、こちらが白骨の骸になってしまいそうな、そんな斜面や崖を這ってうごめくのは楽しいものだ。楽しいとは後で思うのだが、果てしの無い集中は無限の解放を生む。中途半端はいけない。孤独こそ栄養である。

無理してそんな栄養を補給する必要は無いのだが、好き好んで追い求めないと、なかなか孤独になれない昨今である。電子媒体が常に追いかけてきて、山のてっぺんでもネットに接続できてしまったりする。むしろ、遭難者対策でアルプスエリアは確実に繋がると言っても過言ではない。だから、奥三河などの蜘蛛の巣を払い、シダをかき分けるようなジャングルが良い。コンクリートジャングルは好きになれない。何か新しいこと。今日もやってみたい。僕もやるから君もやれ!