遺跡?

自然との共生という点において、先祖である縄文時代の方々に学ぶところは多い。共同で生活をし続け、地域間の交流・交易もある。独自の文化を創り上げ、三内丸山などは千年以上の固定集落を営んでいる。同一のDNAを持つインカの方々もその時代、1000年を超える戦の無い時代を築いていた。ノアの箱舟伝説を生んだ最後の大氷河期が終わった後の、海面上昇が終わった気候温暖の頃ということもあろうが、人間、やれば出来るじゃないかとそう思わせてくれる。

遺跡ファンというものではない。どのように共同生活を営んでいたのか、そのキーとなるものは何かを考える対象としているだけだ。三内丸山は今から5千5百年前から4千年前までの遺跡であり、その後、集落が打ち捨てられたことが判っている。三内丸山は国の特別史跡(言ってみれば国宝だね)になっていて、縄文時代と言えば三内丸山遺跡と言わる程だが、縄文時代から平安時代まで連続して栄えた場所だってある。今年の私的な学びの旅で出かけたが、キーは滾々と湧き続ける「水」ではなかろうかと感じさせて頂いた。勿論、土地の肥沃さは重要だが、水が無ければ農耕は不可能だ。縄文の後にも栄え続けたのは、西暦元年頃の出雲王朝との関係もあったからかもしれないが、王族も住み着くくらい、環境が良かったということでもあろう。

登呂遺跡は弥生の遺構として有名だが、集落の復元状況を見れば、今よりはるかにおおっぴろげで、プライバシーなどどこ吹く風だ。隣の悪行は直ちに知れ渡る。それを突破すると悪行をするより善行こそお互いの幸せのキーであるところに行きつくだろう。声高に叫ばれる助け合いということなんだろうけど、そんなことを叫ばないといけないような世の中にしたのが現代人種だ。我儘では無いお互いの善行。自分さえ伸びれば良いという勝手な考えではなく、普通が明日もやってくるという緩やかな進歩。間違ってはいけない。エントロピーは自然に増大するのだ。環境は常に悪化するのだ。同じ明日を得るためには、それなりの思考と行動が必要なのだ。

丁寧にものづくりを続ける。その丁寧の根幹は素材をきっちりと創り込むこととその特徴を最大限表出化させる加工こそがキーだ。縄文時代に既にヒスイを磨き、穿孔し、ネックレスを作り贈り物にする文化と技術があった。より人のためと心を尽くす文化を支えるのが技術の進歩だ。核ミサイルで自衛しあう国同士の集合体の地球に何故なったのか?これも研究テーマではあろうが、それは他人にお任せだ。身近なところから結束と平穏。難しいが、そのうち、成果がでよう。呑気だがそんなもんだ。