今年の流行りについていっていない

ビットコインもスマートスピーカーも未だに導入していない。ビットコインはともかくも、スマートスピーカーは自分の生活を快適にしてくれるかどうか直感できないからだ。クリスマスネット商戦でやたらとコマーシャルがやってきたが、自分の生活を安直に快適にしてくれる雰囲気が全く無い。真っ暗な時刻に起きて、気が付けばやっぱり起きる時刻なんて生活に便利さは関係ない。シャレでOK Googleなんてやってはみるが何がOKなもんか。

それは老人の戯言で、恐らく、今の小学校に通う前のお子様達には当たり前の光景なのだろう。いや、そうでなければ困る。世界の当たり前に触れ続けて頂かないと我が国は没落の一途をたどるのみだ。働き方改革なんぞAIに任せればよろしい。自分の仕事が無くなることを恐れる人の記事でネットは溢れるが、機械的に時間だけを要求される仕事なんて無くなったほうが良いに決まっている。AIがやってくれるならさっさとやって欲しいぞ。そんな来年になって欲しいと本気で願う。

人の好奇心こそ千差万別、80億通りあると思っている。だったらその80億通りの面白いとか、気ままに頑張れるとか、そんな分野に各個が就いてくれていればそんなに素敵な世の中はあるまいて。ネチネチ表面の凹凸を取り除く奴とかね。アウトプットが物凄く軽く得られて、他の人から見ればすさまじく厚い。そんな人の世にならないものか。

関数とは何かが変わればその変化に応じて変わる関係を表現しているわけだが、関数関係に無いものの生み出し方をしてみたいものだ。何かをやれば誰かが呼応する。それが無い状況で事を成し続ければ、誰も居ない砂漠を一人で歩いている、そんな気持ちになれるのかもしれない。いや、それとて数分は残る足跡を意識せねばならぬ。ネットの向こうに居るその人の顔は全く見えない。見えないがそこにある。OK Googleと語り掛けない自分は、まだまだ人依存性があるのだろう。そうでなければ戯言など語らない。AIスピーカーは何を生み出すのか?来年あたりそれが見えてくるのかもしれない。日本においてもそんな生活をしている人を見てみたいものだ。そう思う。