7月が終わります

気が付けば7月が終わってしまう。小学生達の夏休みは残り一ヶ月しか無いということだ。その昔、もう、思い出せないくらいに昔だが、一ヶ月はやたらと長かったような気がする。夏休み以外の一ヶ月のお話だが。つい先日、お正月という状況であったはずなのに、既に7月が終わるとはどういうことだ。何らかの締め切りを毎日抱え、締め切りが積分されて、完全なマヒ状態だ。宿題と違うのは解くべき問題も自分で考えねばならぬことだ。大人が生きることはとても厳しいと、ガキの頃は分からなかった。

与えられて解く。機械と材料があって、買ってくれる人が居るから何かを作る。それが未成熟社会の有り様だが、成熟社会になっていくと、なかなかもってそうはいかない。10万個の部品の発注は今日までねと、上位の会社に言われれば、もう真っ暗闇。これは小学生には無い出来事である。真っ暗闇感覚はあったかもしれないが、それでも向こうに灯りが見えた。

見える灯りが無いならば、自らが灯さねばならぬ。それが大人の世界というものだ。むしろ、灯りが無いからこそ、進む価値がある闇である。闇に出会うことは素晴らしい。誰も歩んでいない世界ならば、どんなに恐ろしく、危ない領域であっても開拓するべきである。誰かが行ったら付いて行こうなどと悠長なことは言っていらっれない。進めば良いのだ。

ただ、無理はいけない。無茶は良いが無理はいけないのだ。無理を通せば道理が引っ込む。命の道理を引っ込めてまで無理をしてはいけない。無茶は笑えるが無理は怒りと憎しみだけを連れてくる。そんなもんだ。