ここまで

気の良いおじさんはもう辞めた。我慢の限界を超えたというわけでは無いのだけれど、もう良いのではないかなと、そう感じたわけだ。天下国家にこうなって欲しい、組織力を最大化させて頂きたいと必死に汗をかいてきたつもりだが、それは勿論、個という限られた範囲であって、気に入らないのは当たり前だし、気に入って欲しいとも思わない。時代が変わってきたのだからそろそろ隠居ということだろう。それはそれで良い。

「君達はもっともっと幸せになれる」と次世代にエールを送った太宰の気持ちがわかるお年頃になってきたということかもしれない。内的要因ではなく、外的要因に屈する組織が哀しくなったというだけだ。そもそも論、俗人性が強すぎてはいけないということだろう。ただ、やりたいと思ってやったことは無いのだ。やれと言われたから、やらせて頂いてきた。全力を出してきた。うまくいったことも、思った方向にいかなかったことも当然ある。外界からお声がけを賜っているのだから、外的には間違ったことをしてきたわけではあるまい。

先日、とあるNPO法人の理事殿にお会いしたのだが、コロナ禍で猛烈なダメージを受け、更に「想い」や「機能」を隠すリーダーの退任がその最中にあり、事業承継がえらく大変であったと伺った。数億の減収になり、人的資源の確保は当然のことながらできず、コアコンピタンスも分からない中、経営に携わりてんてこ舞いの状態であると。批判するのは権利であるから当然の行為。しかし、明智光秀はいかん。

嫌だから滅ぼそう、後は知らないということにならないか?大きな転換には思わぬことが付随する。まぁ、お手並み拝見なんだけど、織り込み済みであったとしても、思わぬほころびを生むものなのだ。満点は無い。無いから発展するのだけれど、及第点以下だと滅びしか無い。無理を通せば道理が引っ込む。当たり前のことなんだけどね。土日なく働いていると頭が沸騰してくる。何とか冷やしたいものだが、なかなか難しい。そんなもんだ。