電気屋さん

日経新聞を拝見してヤマダ電機がEV販売を手掛けるとあり「成る程!そうきたか」と時代の動きを感じた。そうそう、そうこなくてはということだ。インホイールモーターに電池がくっついて、AIが運転してくれる代物は、最早、自動車整備工場など無用としてくれるわけだ。専用の資格は必要とは思うが、内燃機関とはまるで異なる仕組みになるわけで、街の電気屋さんの生き残りもそんなところにあるかもしれない。

その昔は商店街なるものがあって、ナショナルだの日立だのの看板を掲げた電気屋さんと呼ばれる存在があったのだが、それが新たな賑わいを持つ可能性があるということですな。自らを診断して、エラーが発生しそうになったら、勝手に街の電気屋さんに車が自動で走って行って、予兆診断された部品を交換してくれる。恐らくは、部品の在庫があるところに走っていくのでしょうね。その先がヤマダ電機ということなのでしょう。

修理や車検が電気屋さんというのも痛快である。屋根の上の太陽光パネルから自動車迄扱うようになってくると、生活家電という概念が街と一体化して愉快である。自動車同士がAIで会話して事故ゼロ社会を目指して欲しい。居眠り運転という概念が無くなって欲しい。マイカーという概念すら無くなるのだろうから、自動車関連から税金をやたらとふんだくっていた国家の有り様も変わっていくのだろう。これも痛快である。

スマホが人々の生活に溶け込んで、その生活スタイルを変えてくれたが、所詮はポケットの中の電脳であって、スマホが身体を運んでくれるわけでは無い。既に電気自動車は走るコンピュータではあるが、ハンドルの無い自動運転車が出迎えてくれて目的地まで運んでくれる。体調の管理も自動で行ってくれて、自動車自身だけではなく、乗った者の健康まで見守ってくれる。ヤマダ電機が医局に見えるなんてこともあるのかしら?兎に角、ほうっと思った記事でした。