AI屋さんとの一夜

知に働けば角が立つ,情に棹させば流される。理知的でいようとすると人間関係に角が立って生活が穏やかでなくなり、情を重んじれば、どこまでも感情にひきずられてしまうことだが、結局のところとかく人の世は住みにくい。漱石先生の草枕の冒頭であるが、見事な表現である。漱石文学に憑りつかれてかれこれ40年。未だに継続している。そんなものに出会えたことは幸せである。熱中、没頭できるものに出会えるか出会えないか。人生、随分と違ってくる。

研究テーマはもちろんその一つなのだが、真っ新なキャンバスに絵具を置く作業はこれはこれで神経が磨り減る。一つの形まで到達するとほっと出来るが、多くは何も得られず終了を迎える。ゲームと違って与えられるものではないし、リセットも効かない。それが近世人類と小生の大きな違いである。やってみよと言ったとて決してそこに踏み込まない。だったら大学になど来るなと言いたいが、実は小生側が少数派だから仕方が無い。

恐らく10年もたたずに、世界中の大学というところは目指すところがまるで違ってくるだろう。理事会にAI太郎が鎮座してこっちへ向かえと指示をする。世界情勢がこっちに向かうからと人間では処理不可能な量のデータをばらばらと浴びせられたら、それを跳ね返すのは骨が折れる。折れるのならば受け入れようと、その時の為政者が感じたら、もうそのままだ。

AIは限りなく進化する。人間の脳みそ以上に進化する。いや、深化するという文字をあてた方が良いかもしれぬ。事務処理の効率化等、既に多く取り入れらているが、その程度はむしろ歓迎だ。ただ、自分の歩いていく方向まで決められるのは御免こうむる。昨夜、そんな人達とお付き合いして、大学の床で朝を迎えた私であります。