太陽力

3.11の少し前に、太陽活動が活発化して、地球周辺のイオンの流れ密度が高くなった。地球の内部というか核周辺は金属が流れている状態になっているので、イオンの流れ、即ち、地球の周りに電流が流れたら、金属の核運動が活発化して、どえらいことがこなきゃいいがと思っていたら、人間にとって凄まじいことが発生した。宇宙的にはまったくもって普通の現象なのだが、人類という後から来た生命にとってはとんでもないことであった。宇宙の活動に比べれば人類の営みなど、些細なことということだ。

人類が突然消えてしまったらという番組を見たが、実際のところ、チェルノブイリ地区は立ち入り禁止で、人が消えた都市がどうなるかを実証している。30年足らずで緑豊かで野生動物が闊歩する自然が復活する。それを見ると人間とは如何に我儘で自然環境を破壊する悪の枢軸であると感じる。その人間が、これまた自我をむき出しにして自分だけが正しいと大騒ぎする。更には徒党を組んで納得不能な我儘を他に押し付ける。ホモサピエンスが46億年の進化の後に獲得した議論というツールはどこかに行ってしまっている。

大声が正しいと受け止められるのであれば、オペラ歌手が人類を先導すればよい。いや、扇動と言うべきか。むしろそのほうが愛あり夢ありで、皆、笑顔で過ごせるのかもしれない。一人の大声では無く、マスコミの大声になると太陽のくしゃみ同様、世界がでんぐり返る。人類とはそのように弱いものだなとしみじみ思う。それ故に、自らが判断できる能力が必要だし、納得というお互いの了解が日々重要と感じる。気を長くというのはそのようなことだろう。

霧島山の噴火は、昨年来の兆候の結果であり、なるほど、マグマが地上に噴き出すのだからそれなりの兆候があってもおかしくなかろう。兆候があったのであれば、何らかの対策があるのかもしれないが、地球規模のくしゃみであるから、逃げる以外に方策はない。いや、そこに人間が存在すること自体が間違っているということだ。巨大な堤防など、人類のエゴに過ぎない。地球を痛めつけることなしに、皆が笑顔で過ごせる方策は無いものか?みんな笑顔で居たいのにと思うのに、なんで、悩みごとばかりがやってくるのかなと、太陽はどんなにエネルギーを人類に与えても、代償を求めたりしないのになぁと、あんなふうにおおらかにでっかく生きられたらなぁと、しみじみ思う私であります。