趣味考

何時の頃からか山歩きが趣味である。独り、岩峰に佇み蒼き山並みを見渡すと、自分のちっぽけさと地球の偉大さを感じ取ることが出来る。迷ったり、滑落したり、やめとけば良かったと何度も何度も思ったものだが、未だに地形図を見ては「この尾根に行こう」と思ってしまうのだから病に近い。趣味とは病と健康の狭間にあるのだろうが、病から健康との境界に漸近していく、そんな場所にあると思っている。だから直らない。辞めてしまったとしたら、それは趣味では無かったということだ。

小生の場合、基本は単独行である。加藤文太郎氏を真似ているわけではない。とても真似られない。日本の単独行者の著名人は先の加藤氏と植村直己氏だが、共に山に消えていった。これはいけない。何が何でも平地に戻ってこなければならない。しかし、自然は人間如きの計画などお構いなしだ。ただただ冷徹に行動してくる。自然には何をやっても勝てない。勝てないのに自分の計画は満点だと思う。それが過信だ。臆病であり、謙虚である。それが山に分け入る際に唯一許される考えだ。

しかし、これからの季節、彩鮮やかな森林、そして澄み渡る空。名工大の校舎の上層階からは南方向を除けば山また山なのである。さっさと御出でと手招きしてくれている。出かけない手は無いだろう。山で自らを客観視するのであれば単独行でなければならない。しかし、修行僧になる必要が無いのであれば、友人と連れ立って、バーナーとコッヘルでお茶をするのが望ましい。調理は更に良い。例えインスタントの味噌汁であっても、アルプスを眺め暖かい汁ものが体に入るその瞬間の空気感は何物にも代えがたい。

名古屋はアルプス群の入り口にあたり、その最も南の外れが大川入山である。国道153号線を進んでいけば入山口に直ぐにつく。美しい波打つ笹の中を道は進み、紺碧の空に緑が映え陽は注ぎ、アルプスを歩いていることを忘れてしまう程だ。山は良い。自らの身体だけが頼りである。嘘を付く必要が無い。全て自らに跳ね返る。そんな経験が無いと、不正をしたくなるのだろう。「適当で良いや」という考え方は限界を見たことの無い、卑怯者の生き方だ。臆病と卑怯とはまるで違う。臆病で良い。一歩、進めるから。