永遠なる学びを

三寒四温が明確にやってきて、満開となった桜がほんの少しだけ長持ちになるかなと思ったりする。入学式まで桜が残っているかどうかは解らないが、職場からの帰路はちょっとだけ遠回りをして、桜の樹の下を歩こうなどと思ったりする。桜の季節位良いではないか。マスクなどして艶っぽくは無いが、大和心を楽しんではと思うのだ。鶴舞公園などは桜の樹の下に入らないように柵が作られているが、これなどは、根っこを傷めないという点において、数年に一度はやったらよろしい。そんな気にもなる。花見のSDGsである。

いろんな会議体が「意地で対面に戻す」って躍起になっているんだけど、日本ってどうしてこうなのと呆れてしまう。在宅であろうが、勤務は勤務で、業務におけるミッション達成に必死になるわけですが、少なくとも通勤時間は無用になる。PC画面に向かって、Teamsなどを活用すれば文字ベース、声ベースでどんどん会議が出来る。今までよりも移動の時間は削減できる。開始当初はお子様が襲い掛かってくるなどという場面に出くわしたが、2年が経過して、それもクリアされてきた。自己獲得の時間が増えることは素晴らしい。

遠慮など要らないのだ。しょぼい話ではあるけれど、どっかの組織としてもコロナ禍が無くなったとしても10日は在宅で良いことになっている。全ての職員がそれを獲得すれば宜しい。そこで獲得したご自分の時間を、学びに使うのが宜しい。学びと言っても大上段に構える必要は無い。今まで以上に朝刊を読む、読書する。ネットワークによる講座に参加する等々、キャリアプランを考える時間としても十分だ。100歳まで生きなければならず、そこまで収入を得続けないといけない国だから、キャリアプランとその実現のための学びは投資である。必ず利息が付いてくる投資である。

職場を満期まで(規則上の定年年限)勤め上げるという時代はもう無いだろう。世界でそんな状況になっているのはこの国くらいだ。作業しかしない方のために雇用を残す時代では無い。どのように自動化し、それによって人と人との関りを密にしていく。何を成すべきかを組織内で議論できる。過去にそうだったから次もそう。もう、それはやめましょうよ。人生は短いよ。急に消滅するかもしれないしね。自分に素直になって良い。それは学ぶことである。全てが学びである。