定量的自己分析

とあることがきっかけで、小生自身は何を実現可能か、今現在の機能を全部書き出せという指令を受けた。これがなかなか厳しくて、エビデンスを示せと言われたら、とてもでは無いが、1項目も上げられそうにない。取り敢えず、今まで何をやってきたとか、プレゼン資料を見ながら、自分はこれは出来そうだみたいなのを書き出してはみているけれど、段々とこっぱずかしくなる。なにやってきたんだろうなって。苦笑いの連続である。

これは俗に「自律機能」と呼ばれるカテゴリ(呼んでいるのは我が国でも、小生の関係者の50名以下でしょうね)なんだけど、それは単独要素で出来上がる場合もあれば、いくつかの要素から成立している機能もある。多くは複合化された要素からなっている。それらを使って活動をさせて頂いているわけだ。それを意識してコントロールするためには、定量的に自らの機能を理解する必要があるというわけだ。新しい事に取り組もうと思えるかどうかも、その理解に依るのだと考える。

ただ、闇雲にご依頼をお引き受けしてしまうと、ご迷惑をお掛けすることになるわけだし、逆に、もっと深くお仕事をさせて頂けたのに、上辺だけとかになってしまうかもしれない。ただ、ここで重要なのは、自律機能はあくまでも自分自身の機能であって、それは単に「自分はこれが出来るから」という事に過ぎない。良く見られる「私が所属する係のお仕事は〇だから、〇以外は絶対に拒否します」みたいに、〇のお仕事が期待されたレベルで達成できるかどうかも解らないのに威張られるパターンはこれだ。私はこれが出来るという思い込み。

そうならならない為には、基本、聴き力が基本的機能として働かないと、なぁんにも起こらない。どんな刺激を与えても馬耳東風。威風堂々の状態に見えるのだが、結局、他者の問いかけにお応えできない。勇気を持って聴けるようになるには、入ってきた情報を的確に処理できるかどうかの自己分析に掛かっているというわけだ。共同作業にしても、これは自分が分担できるか等の判断もそこから生まれるはずだ。やらない人より理由を語って断れる人。これからはそれで行く。