教えるは学の半ば

とある団体からお尋ねを頂いた。人生100年時代を通じて生き生きと働ける社会を実現するには、企業と大学ともっと連携が必要なのでは無いかということなんですけどね。その団体さん、思い込みが激しくて、18歳人口が減るんだから、大学には入学しやすくなるでしょ?とかね、何を言っているんだこの人達はと思ってしまう。低次元な思い込みそのものが、この国の価値を下げ続けていることに気が付かない。挑戦をしない、意識を変えない、その状態で、100歳人で溢れかえった日本は想像したくない。

ガラパゴス携帯が電子機器の小型化の極致を走っている時、海外では、所謂パット型が生まれようとしていた。Newtonデバイスをご存知の方は、もう相当にご高齢になっていらっしゃるからお話にならないとは思うのだが、「ボタンがある」当たり前を、無くしてしまうことに踏み出せなかった日本。この、やってみたらどうだろうということをさせない大人達が質問項目を作って訪ねてくるわけだ。どうせなら中高生にどんな社会に住みたいかを聴いて、それを大学で実践するには社会はどうアシストするべきかとかね。前向きな質問が欲しいわな。

夢を持った学生達を吸い上げて、価格競争に巻き込んでいくだけの日本企業に未来がある筈もなく、そんな団体に「送り出す人材に身に着けて欲しい能力に関して、企業のニーズを把握しているか?」とかね。人材育成に税金以外で投資せず、自分達の都合だけを考えろと言う。若者の能力最大活性化とかね、そんなところに投資をしないで、産業界が求める人材を意識しているかとかね。入社してすぐに辞める、その理由を若者にだけ責任をかぶせている。

世界から尊敬をもって購入して頂ける商材を造らない。勿論、全てのお企業様がそうだとは言いませんよ。素晴らしいものは沢山ある。でもそれは適正価格で売られているのか?そして日本人は適正価格でそれを購入できるのか?価値に見合う対価を支払うには、価値を理解できる人財である必要が、そもそも論としてある。そんな教育をさせて頂いたとして、社会がそんな人材で充たされるには、ここから100年掛かるでしょうね。それが教育というものだ。今の利益だけを欲する団体に言われたくない。