再生音楽

ノーミュージック、ノーライフである。ウィークデーでそんな時間を確保できないから、日曜日はどうしてもBGM三昧(それほどでもないか?)となってしまう。音源をSPに求めてしまうとBGMにならないから、電気オーディオに走るわけだ。LPも、お仕事に熱中していると、いつの間にかアームセンター状態で悲しいことになっているからデジタル音源に頼るようになってしまう。しかしながら、ダイレクトにパワーアンプに接続しては愉しめない。BGMであっても、音楽でなければならない。

イヤホン、ヘッドフォンによって聞こえてくる音楽が全く異なることは周知の事実である。同じだよと言う方とは未来永劫、友達になれないからしらんぷりだが、1925年の、正式なオルソフォニック再生の道を切り開いたビクターやウエスタンエレクトリック社の皆様に感謝するわけだが、現状のオーディオ回路の思想は、デジタルになろうが変わっていないところに、人の聴覚はアナログなのだなと言う原理の変化の無さに安心するのだ。

しかし、そのアナログ故に、鼓膜の内外の在り様によって、心地よく感じるトーンズがまるで違っているから、音源づくりのエンジニア殿は永遠に答えのない旅路を行くのだなと、世界平和が永遠に到達できないのと同様に、そこそこのところで「いきついた」と納得しないととんでもない事になるのがミュージックライフである。小生が電気オーディオにおいて、音源を迎えるにあたりMcintosh C8を入り口として、WE555WとALTEC604Bを出口としていることはもうばれているから隠しはしないが、カップリングコンデンサがへたって来たとかね、部品交換とともに愉しんでいる。

この部品一つ交換することも極めて恐怖を感じるのだ。電気回路要素の数字を守ることと、音を紡いでいくということはまるで違う。信頼の出来るオーディオハウスから入れて頂くわけだけど、移植手術の後に「えっ?」ということも度々あった。30年以上も付き合っていると、部品を流れる音響振動まで見えてくる。趣味なのだろう。音楽と言う深淵に引き込まれた哀れな人生なのかもしれないが、音に興味がない幸せには戻れないから、これからも続いていく、再生音楽の楽しみである。ほっといて頂戴!