休暇とは何かと、実体験を通して考えてみると、通常業務の一週間に比べて睡眠時間を長く取れる事かなと感じた次第。4時に起きなくても良いし、これは面倒だから明日に伸ばそうと思うことが出来、ストレスが軽減して睡眠を獲得できるのだろう。その昔は連休となればせわしく鉄道の時刻表などを調べ、リュックをチェックして過酷な質量を詰め込んでほくそえみ、肉体と精神の限界に挑戦していた。まぁ、そんなことをやりきってきたから、今は読書程度でも満足できるのだろう。
蚤の心臓と象の心臓は一生に行われる鼓動の回数は等しいなんて、本当かウソか確認したことは無いのだが、それを考えると、小生などはとうの昔に限界を突破しているわけで、だからこそ、おとなしくしていても精神が安定しているのかもしれない。ちょっと前?までは、じっとしているなど有り得ず、書類仕事の後はその反動で、必ずどこかに冒険にでかけていたものだ。最近は近所を歩き回るだけで満足してしまう。
定年退職というのは良く出来た制度だなと思うのだ。革命し続けねば自らの居場所が無くなる民主主義社会において、自らに革命を課し瞬間瞬間を猛烈に強烈に生き抜くことが出来るのは、まぁ、普通の人間であれば50歳位までであろう。稀に突き抜けてあの世でも閻魔様を困らせて、現世に戻ってくる程に快活な方もいらっしゃるが、まぁ、大略そんなものであろう。しかし、身の回りにおいて、定年後にも変わらずに活動していらっしゃる方を多くお見掛けする。
要するに、本来であれば限界を突破させて鼓動を稼がねばならなかったのに、じっと停止させていたからこその定常運転であって、それって本来であれば、現役時代に事業所に対して富をもたらすことが出来ていたのではないか?とてもでは無いが、過労困憊の日々を過ごす身にとっては定常運転など有り得ない。というか、そんなつまらない生き方は出来ない。ピンピンコロリが宜しい。その筈である。