CPUやメモリーが小型化していく過程で、LSIが小さくなったから、あるいはセンサが小さくなったからこんな機械を作ってみようと言う時代があった。初期のテレビ電話など、画像と音声に遅延があることこの上ない。そんな時代から、今では電子的サービスが前提で、いや、今存在しないサービスを思考して、それに併せてエレクトロニクスを作り込む時代だ。今では階段を一歩登ったことを標高で検知できる、そんな時代だ。それをコンピュータが自動でデータ処理をして何らかのサービスを叩き出す。処理はデジタルだが、サービスはアナログだ。
まぁ、それとても単なる贅沢とも考えられるのだが、例によって一度体験した楽ちんからは元には戻れないという人間の性ですな。中途半端なデジタル時代がどれだけ続いただろうか。電子機器の価格が急激に下がってきた2005年くらいから、身の回りが片っ端から自動計測、自動信号処理という世界になってきたと、記憶を遡れば感じる。コンピュータに繋がっていない機器は学生さん達から見向きもされなくなった時代だ。
そんな学生さんが卒業した先には、当然のことながら、電脳に支配された企業が待っているわけで、その接合の為には、同様の機器で実験ということになるのだが、ロットリングで過ごしたアナログ教員から見ると、実は相当に物足りないのも事実なのだ。熱、振動、音、その他もろもろ五感と第六感をフル活用させて新奇な現象を発掘してきた化石人間からすると、機械任せの世界に未だになじめない。勿論、機械の制御などは便利だなと、当然、ご厄介になるわけだが、何を動かして何が出来るかという機械の世界と人間の世界との境界点での現象への眼差しは、間違いなく、今でもアナログなのだ。
エレクトロニクスの小型化は様々な機器に電子計算機を搭載させ、思考という人間に唯一許された活動を、この世から切除したのではなかろうか?分析機器の高度化によって得られる情報の精緻化は、今まで見えなかった世界を見せてくれる。電子顕微鏡の精緻化から宇宙望遠鏡の精緻化まで、人類が未だ見たことの世界が宇宙全体に溢れていることを教えてくれる。しかし、遥か彼方に飛んで行って、持って帰ってこないと分からない世界もまだまだあって、それこそアナログの行動である。ローテクを思考で繋ぎ合わせて真実を語る。ミクロ世界を作り込んできたのだが、思考を取り除こうと躍起になってきたわけではない。地球温暖化だって思考の欠落と楽ちん大好きな人間の性が生み出したものだ。かと言って、今更元には戻れない。はてさてどうしたものか。見つからない答えを思考し続けなければならないと、悩み続ける私であります。