消印有効

とある事件の報道で土浦郵便局がTVに現れた。その昔々、論文の校正の後、「今から本局に出しに行け」という下命によって、2級先輩と供に、天王台から真夜中に国際郵便を出しに行った、その青春を思い出させて頂いた。当時は郵便であったのだ。まだネットという存在が無く、FAXかテレックスか郵便か、どれかの選択の時代であった。のんびりに感じるかもしれないが、消印が全ての時代で、ど田舎であれば中心都市の本局のみの対応で、これはこれで必死な時代であった。

インターネットなる代物ががまの油売り大学に入ったのは、大学としては日本で最初のグループであり、高エネルギー物理学研究所がご近所ということもあり、優先的に入れて頂いたということを記憶している。全てが文字ベースで画像ブラウザが出てきたときは感動した。その進化はべらぼうに早く、それこそあっという間に進化していった。買い物も何もかもネットの時代になるなと感じたが、今ではそれが当たり前で、前提となって若者は生きている。

思い出話をする気は無い。AIもその頃には既に研究が始まっていて、後のNTTがフロッピーディスクでAIと銘打ったソフトウエアを配布したのを覚えている。反応を全て記録して、パターン認識の権化であったが、前に使った人の癖を、次の人が面白がっていた程度の代物であった。人が集まって「頑張りましょう」というイベントは、一体いつまで続くのか解らないが、そんな時代が良かったなと、数年後には懐古になっているのかもしれない。

もの作りは上手になる。繰り返していればそうなる。しかし、大転換はなかなk起こらない。昨日、掲示されている企業のニーズを拝見したが、ニーズそのものが「おやっ」っとなる状況では、技術のステップアップなどは起こりようが無いなと感じた。売れているから変革に挑まない。その姿勢で日本は滅びるのだろう。売れているから次を考えるのだと、K大先輩は仰り実行された。その姿勢が途絶えた風土には悲惨な結末がお似合いだ。そう思う。