坊ちゃん考

漱石の大衆文学の金字塔と言えば、それは坊ちゃんであろう。痛快活劇ではあるが、読み終えた後、結局、強いものが勝つという結末は、現実的であって、今一つ、小生的には盛り上がらない。そんな思いで松山に旅をして、道後温泉の漱石が好んで使った部屋の隣を借りて大の字で天井を眺めた時、何となくだが、少し面白い心地になった。笑える話だが、何故、その部屋が空き部屋だったかというと、なんと、外と隔てる障子を張り替えていて、誰にも使わせない状況だったのだが、仲居さんが間違えて?部屋を小生に与えてしまったわけだ。浴衣に着替えるのがやや大変であったのはご愛敬である。怒って出ていくようでは旅は出来ない。

漱石が居た場所だと思うだけで愉快になるのだが、松山の土地の形状がそんな思いを抱かせたのかもしれない。坊ちゃん列車に乗ってみて、マッチ箱の様な汽車も体験し、お城の山を見ながら街を眺めると、漱石の時代とはまるで異なる景色なのだろうが、低山を見ながら決して小奇麗では無い空気感が坊ちゃんの街並みだなと感じるのだ。

小説の舞台に立ってしまうと、これがいけない。むしろ、全くの空想の中に描いていた方が、読み方の幅が広がるのだ。いや、これは小生が勝手に思っていることなのだが、情景が明瞭に空想できる坊ちゃんにおいては、特に、その効果が効き過ぎてしまう。松山に出掛けて坊ちゃんを読み直してみたが、全ての情景が現実に置き換わってしまった。

幸か不幸か、復元されていた愚陀仏庵が土砂崩れで崩壊した直後に訪れたので、漱石がどんな雰囲気で暮らしていたのかは空想のままであって、ほっとしているところはあるが、道後温泉本館などは何しろそのまんま残っていますからね。坊ちゃんは直筆原稿が冊子にまとめられていて、その筆の勢いを味わうことも出来る。漱石の奥さんが「勢いが凄かった」と仰るように、勢いのある、正に、原稿用紙に文字が浮かび上がったというような作品であったのであろう。これなども真に書きたかった胸中はなんであったのか。謎めいた作品で高尚である。