こころにて

吾輩は猫であるは、極めて難解だなと思うのです。精神的に不安定であった頃に書かれた著作で、場面のジャンプ振りが、三部作と呼ばれる流れとはけた違いであって、今でも難しい。分厚い全集においても、一作で一冊を占めているのだ。これは凄い。次に読了したのは言わずと知れた「こころ」である。自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心をとらえ得たるこの作物を奨むという広告文を漱石が書いた。

読んだ回数はもう数えきれないと思う。原稿用紙4百枚を超える大作が、中学生の教科書に採用されているということが誠に優れた選択であると思う。誰がどんな力をもってそれを実現しているのかわからないが、中学生という何の経験もない、そして時代背景も学んでいない、加えて、生きることも死ぬこともその意味を解らず、未来と将来の区別もつかない中学生の魂にどれだけ届くのか。

私と先生とKと奥さんの4人で話が進んでいく。内容は全国民が知っていることだから説明の必要は無いが、年齢不詳、出生不詳の人々のこころに湧き上がる渦巻きの絡み合いが読み手を巻き込み離さない。文章構成の見事さは、如何なる個所においても破綻しない。このような作物を何故生み出すことが出来るのか。

奇跡としか言いようのない作法であって、自己の心を捕らへんと欲する者として、永遠に読み続けることになろうこの作品である。感想などおこがましく、いや、未だに感想を述べることなど出来は無しない。未だに読む度に感じるものが変わってくるのだから。文学とはこのようなものを指すのであろう。出会えて幸せである。