萎縮力

あったか無かったか、解らないようなお正月が過ぎていったと思ったら、1月が終わってしまった。やたらと濃密なんだけれども、緊急事態宣言のおかげで、皆とワイワイ食事をするなんてことが出来なくなって、仕事をした思い出しか無い日々である。それでも仕事があるだけましなのかもしれない。そう思わないと国難を乗り切れない。と、思っていたら2月である。そして非常事態宣言は延長されるらしい。

どうも呑気である。何かお上に弄ばれているのかなとも感じてしまう。「延長すっからね」くらいの気持ちに感じてしまう。一般民間人として出来ることは、手洗い、うがい、マスク着用位なもので、密を避けろと言われても、通勤がある限りはそれは防ぎようは無いし、手を動かさないと先に進まない職種は沢山ある。それを止めてしまうと存在意義が無くなるような、そんなお仕事は沢山あるだろう。確かに、自宅に持ち帰る(クラウドに自宅からアクセスするという意味でだが)ものは増やしてはいるが、単に土日が無くなるだけだ。まぁ、以前から無いけど。

2月7日までと思っていたら、どうも3月7日までとか噂で聞こえてくる。数値が減りだしたから後一歩なんてことを考えているのだろうが、それは本当か?天気が悪ければ出歩かない。寒くてもご同様、そしてこれから少しずつ暖かくなれば、体力的に抵抗力をもつようになって、単純に自然的に減っているだけではないのか?感染力が強いと言われるウイルスが、突如として「見つかった」と報道されるわけだが、それは無視して良いのか?

小中学生の声を聞いてみたいものだ。どんなものがあったら便利か?と。大人と同じ内容があるかもしれないが、愉快な発想が沢山あるような気がする。今、大人の人も、その昔はそんな時があったはずなのだ。何歳までやんちゃでやり通せるか。研究者なんてやんちゃの権化だ。ただ、アンテナが高過ぎて、ネガティブなことまで思いついて発想を止めてしまう。小学生の時に、先生の言うこと、親の言うことを聴け!みたいに萎縮させられているから、発想が貧困なのかもしれない。言うこと聴かなかった同盟とか作ろうかな?