愚痴考

過去を振り返って愚痴る人、後悔しきりな人、もう、それはそれは大勢いらっしゃる。なんでなんだろうと、別に頼まれているわけではないが想像してみると、きっとご自分の人生なのに自分に遠慮しているのではないか?といきついた。だから何だという事では無いのですよ。空気を読めないとか、そんなことを小馬鹿にする風潮があるわけですけれど、そんなもん、どうってこと無いから。

人の話を聴く胆力をお持ちの方は、「大後悔」は無いのでは?「後悔」はあってもそれを引きずることは無く、すぱっと手放していらっしゃる。未来への想いは大切で、それが叶わなかったとしても、想ったことが大切であって、受け入れられなかったとしても、それは時の流れの、ほんの瞬間の事。忘れるのが一番。ただ、何故それを想ったのかは大切にしておくと良い。

結局のところ、思い込みってことなのだと思います。最近、しょっちゅう言っている気がする「自分にとって当たり前」ということなのですが、それこそ思い込みで、主語は間違いなく自分ですよね。そうでなければならない自己中心と、やめるべき自己中心の、後者は単に思い込み。冷静に考えてみると、「自分は変われない」って思い込みで自分を縛っていらっしゃるなって。

ガス抜きくらいの愚痴なら問題無いです。人を引きずり倒すような愚痴をぶつけて頂くことが、相当の機会、あるわけですけれど、結局、そこから離れない。そうならないように気を付けるのですけれど、ふと「あっ」っとなって反省することがある。随分、少なくなってきたような気もするのですが、まだまだ。どんな風に想ったのか。それを時々思い出して、新しい事を想いたい、そんな気分に何故かなりましたというお話まで。