定性的国家の行く処

ここ数年来感じてきていたことだ。定量的に語っても、説得出来ない。どうも言語体系が変わってきているのだ。恐らくね。そうなってくると現役を引退しろ言うことなのか、それとも踏みとどまって過去を伝えようと努力しないといけないのか。感染とか空気による汚染とか、まぁ、半導体を扱って電子を制御したことのある人なら、ウイルスが如何にでっかいか、そして、空気中の数が計測できていないいじょう、マスクと手洗いで逃げるしか無いことは定性的に理解できる。しかし欲しいのは定量データだ。

空気中の1立方センチメートルに何個のウイルスが漂っている時、それらを吸い込んだら、肺の表面にどれだけ活着して、それが表面積に対してどれだけの割合になったら「発症」に至るか。感染と発症は違うということすらマスコミは語らない。勿論、無症状感染者という言葉が使われているくらいだから、無意識には使っているのだろうが、国民は無知な状態に置かれているなと感じるのだ。

喫煙者の呼気には硫黄原子が沢山。少なくとも1立方センチメートルに10の15乗個以上存在する。多いか少ないか?通常の固体は1立方センチメートル当たりに10の22乗だから、それから比べるととても少ない。しかし、絶対値としては半導体表面を1秒で覆う程の数だ。原子サイズの話だから、直径が100nmもあるウイルスだったら、原子から比べると空間を占める体積は10の9乗倍以上でかいわけで、空間に頑張って詰まっても大した数にはならない。それでも発症するというのだから、肺胞表面にはほんの数個が活着しただけでも増殖し発症させる力があるのかもしれない。

しかし、定量的に全く無知な状況に置かれているのだ。科学技術力ってこんな程度だったっけと情けなくなる。非常事態宣言の使い方を、サイエンスに関わる学生・学者・企業人は『ウイルスを見える仕事に集中すること』なんて、費用一切お構い無しで通達を出せば良いのにと思う。医療はお医者さんだけ?冗談ではない。そこで使われる機械はエレクトロニクスは勿論のこと、全ての工学が詰まっているのだ。戦争で技術が進歩すると言われるが、それを医療でという言葉に置き換えればずっと平和だ。なぜそんな方向に国は進めないのか。情けない。