挑戦というのは長い時間、同じ作業を繰り返すことでは無い。昨日の延長で少しだけステップアップをすることでもない。柳の枝に飛びつくことが出来たカエルは、次に何を成すのか?幹からよじ登って、枝垂の先に降りてきたのではない。位置は同じだが、成し遂げたことはまるで違う。飛び上がって捕食できるようになったら、他の種とは異なる領域に入る。
その異なる領域は何処だかわからないが、今までとは異なる智慧を有する者と話が出来るはずだ。とある領域で図抜けることが出来れば、図抜けた人達が初めて見えるようになる。それが極めて重要である。背比べをしている者には明日は無い。今日で終わりである。それだけ世界の勢いは激しいのだ。濁流と濁流がぶつかり化学反応が起こっている。世界のモノづくりはそんな状況だ。
長期計画を明日の目線で構築しようとするのは愚者の思考だ。出来ることを列記してなんとなるのか。しかしだ、人財育成とその教育戦術を定めるのは並大抵ではない。そもそも論だが、例えばそれが大学で成そうとすると、現在の高校生、中学生、小学生がそのターゲットとなるのだが、そこでの人材の育成状況はとんと見えない。マスコミで入手できる情報で精一杯である。さぁ、どうする。
巧言令色で固めても仕方がない。出来ることしか出来ないわけで、作業と仕事との区別がつかない連中相手に、どんな教育が受け入れられるというのか。先をイメージし、それを実現できる人材育成の設計図までは何とかなる。パーツは揃うのか?いや、組み立てる組織として十分か?じっと手を見る。そんな毎日だ。