知恵を創って使いましょうよ

人口が減って、社会保障費が加速的に増大していく、即ち、新規の稼ぎ手が減っていくわけだ。1996年度から2000年度まで、ポスドク1万人計画なんてものをやらかした。期限付き雇用資金を大学等の研究機関にばらまいたのだけど、あくまでも期限付きだから、「期限が来たから次に移ろう」というわけにはいかない。うまい具合に定年退職者が現れて、そのポストを活用させて頂いた者は幸運だったろう。人件費を大学に純増なんて有り得ず、結果、大学の国からの運営費交付金はどんどんと減っていく。自分達で稼げとなるわけだ。

稼げる人は決まっていて、大学生時代に研究遂行能力を十分に高めることが出来、良い師匠の下にポストを獲得し、更に多くの人脈を上手に作り、そして使い、更に基礎研究を発展させることが出来る者だ。ここ数年、お若い優秀な研究者が多いなと感じる。そのような研究者により発展していって頂き、見出し、磨きを掛けた要素研究を企業を通じて社会実装し、我が国から世界発信をしていって頂きたい。その循環が国力という事になるのだと思う。

企業もいい加減に大量消費の為の大量生産による利益獲得から頭を切り替えないといけない。工作機械はいろんなことが出来るようになってきたけど、加工する刃物はちっとも進化しないとかね。一方、独国などはしっかりとその辺も考えて、刃物も機械も進化し続けてエンジニアがしっかりと給料を頂いて、休みもいっぱいあって、心身の健康をものづくりで獲得できている。日本はモノづくりに近ければ近い程、基礎技術に近ければ近い程、使われもせずに捨てられる国である。博士を取得しても身を立てていく術がない。それでいて、高給で隣国に引き抜かれるのはけしからんとかね。

アフターコロナとか関係なく、世界中にモノが拡散したわけで、富裕層はとんでもなくお金を持って、特別なものすら「もう要らない」状態。「無いモノだけに興味がある」人達。でもそれは富裕層に限らないんですよ。お金を使っていきたいと思うターゲットが完全に変化しているのに、活かせる能力を潰すことに繋がる雇用を守るために、新しい知恵にお金を使えない国。知恵も作ることを妨げる雇用形態。もういい加減にしてくんないかな。そう思う。