ベクトル

未だに人になった気になれない小生であるわけだけど、昨日のお話の続きっぽくなってしまうのだけど、結局、人手不足って「働き手の努力不足」であり、「指導力不足」ということに尽きるのだと思う。雇われるサイドにやる気がなくて、雇う側に指導する能力が無い状況において、どんなに頭数だけが揃っても、それは利益に繋がらないわな。全ての人がそうだと感じる訳では無いのだけど、失敗しないことが正義になってしまって、挑戦という概念が無くなってしまっている。それでは利益など出る筈は無い。

10年ほど前からバックキャスティングと言い始めて、誰もが使うようになったから、何か次の言葉は無いかなと探しているわけだが、多くがフォアキャスティングなのですよ。今までこうだったから、次の事柄も過去の踏襲。過去の情報を上司と呼ばれる人達が囲っていて、こうやったら、書類としては受け入れられたというデータを持っているものだから、それ以外の新しいお仕事は排斥すれば良く、そうなるとその組織は崩壊していくわけですな。身内がそうならないようにとは思うのだけど、難しい状況にありますな。

バックキャスティングって、多くの方が簡単に仰るのですけれど、そう仰っていらっしゃる方で、ビジョンをお持ちの方に出会った事が無い。まぁ、今の日本では夢を抱くのは相当に難しいからね。親に反対されるとか、配偶者に呆れられるとか、そんな程度で諦めてしまう程度のビジョンだからね、そんなもの、ビジョンって言わないから。特に東海地域ではその傾向が強いと某社の記事に出ていた訳だが、「その通り!」と笑ってしまいましたよ。ボタンが無いとデータを出せない研究者とかね。どっか行っちゃえよと言いたい。

ビジョンを描けなければ目指すところが無いのだから、努力なんかする筈は無い。指導する側の人間にビジョンが無ければ「一緒に頑張って、共に歩もう!」という方向性が無いわけだから指導なんかできる筈は無い。この何にも無い状況が今の日本の有り様で、人手不足と嘆く本質なんだと感じている。大切なのは一緒に歩める仲間が同じ職場に存在しているかと言うこと。アバター世代の方々は案外、メタ空間では強烈なパワーを発揮できるかも。旧人類の皆様は、ひょっとすると諦めるしか無いのかもしれない。小生は諦めないが、こんなところから令和維新みたいな事が起こるのかもなと、やたらと忙しかった三日間、考えていた私であります。