元服

苦しいから給料を頂ける。まぁ、そういうことなんですよね。好きなことだけやっていたい、打ち合わせで納得しましたと言ったのに「やっぱり嫌だからこっちをやりました」とかね。到達したいビジョンに向かって社会の為に行動しようって決めたはずではないのかしら?その昔なら「ばかやろ〜」と怒鳴って、言われた側は陰でしくしく泣いて、同僚が庇ってくれて。そんな流れだったけど、今では怒鳴るなんてもっての外、そもそも到達するべきゴールに向かって、100分割位して、到達したら褒めまくるという、それが指導と呼ばれている。

その時代毎に、まぁ、そんなやりとりの在り方が変わってきたのでしょうね。勿論、小生の時代とて、武士の時代とはまるで違っていたわけで、安穏と暮らしてきたのだと思う。思うところがあって引き出しを引っ張り出して、片っ端から捨て始めたのだけれど、勿論、捨てきれないものが出てくる。その一つが先人からの手紙。勿論、あの世から送られてきた訳ではない。既に亡くなっていらっしゃる先人が、後輩に託して書いて頂いたのだなと、心の中で手を合わせて読ませて頂いた。

古い道具も出てきて、これが本当に良くできているんですよ。丁寧な作りで「どうやって作ったのだろう」と頭をひねる。これなども先人からのメッセージに違いない。もっと丁寧に、全力で丁寧に取り組みなさいと諭されている気がする。短納期が叫ばれ続ける日本であるが、勿論、ダラダラやって良いわけは無いのだが、求められる価値に見合った時間の掛け方というものがあろう。それを心に刻んでお仕事をさせて頂きたいものだ。

その昔は元服というわけだから、その年齢に達すれば主君のために死なねばならぬ。その掟に乗っかりましたねというのが成人である。社会に活かして頂いて、次の社会を担う責任を持つ。そんなお話は全く通じない世の中になったわけだが、まぁ、人と人との関係で、約束したら守ろうよと思うのだ。それすらどうでも良い側に回っている昨今、どうすれば良いのか、困るというか呆れることがある。老人は死ぬまで働いて、成人の年齢が下がっていって、一体、この国、何処に向かおうとしているのか。あっちの世界で見ていたい、そんな気にもなる成人の日である。