大は小を兼ねない

ちょっと昔のお話になるのだけれど、T社の若手社員が100年企業様を前にして、テーブルに足を乗せて上から目線で「これ作れ、昨日より安くしろ」と命令していた。今もそうなのかもしれないけれど、組織の巨大化は傲慢さを生む。巨大な国も同じなんでしょうね。ここまできたら核のボタンを押すのかななんて恐ろしくもある。終結に他の方法はあるだろうか?自分で解を作って決断することが出来ない我が国は一体どうするつもりなんでしょうね。

大は小を兼ねない好事例の気がするのですよ。大きくなってしまったら、小さいものの気持ちには絶対になれない。小さいままでは大きいものの気持ちも分からないけどね。経験ということですけどね。大きいことに慣れて、大きいものの価値観で、小を受け入れる隙間の無い状況は、小の価値観を認めないから、これはもう相容れない。国連が機能していないのだから、地球的ルールが何処かに行ってしまっている。

大が突っ走ると人の命も軽くなるんだなぁと、とても暗い気持ちになる。一番大切なものでは無かったのかなと。小さいまま、こつこつと丁寧にやっているのが宜しい。大きくなるとろくなことがない。リーダーが独裁者となり、とんでもないことをしでかす。小を下に見て勝手気ままになる。この国でもちょっと前にありましたけどね。書類を書き換え、自殺者まで出して、それで平気な顔が出来る。凄いもんだ。

核爆発だけは見たくない。あれは科学者の興味だけで終わるのが宜しい。核の冬が来て温暖化が収まったなんてしゃれにならない。そんな狂気だけはあってはならないのだ。あってはならない戦争が起こっているくらいだから、そんな状況にならないとは誰も言えない。ただ祈るしか出来ないことが情けない。明るい明日であって欲しい。そう願う。