間違いと不正

東日本大震災の余震では無いという。断層の割れ方が異なるから違うという見解なのだろうけれど、異なる割れ方が先の震災で分析しきれていなかった歪によって引き起こされたという可能性は完全否定出来るのだろうか。偉い学者先生の仰る事なのだらか正しいということなのでしょう。まぁ、これなどは「そうなのかな?違うのかな?、地球のダイナミクスは解らないことが沢山あるからな」で済んでしまう。いや、済まさないといけない。そうでないと自然科学は進歩しない。

論文不正となると話は別だ。学術的倫理の問題で、これはあってはならないのだ。あってはならないのに、何故かずっと繰り返される。データに誤りがあったから報告を取り消すというのは良い。測定ミス、誤差、なんらかのエラーの重畳など、研究現場に居れば当然あり得ることだ。勿論、あり得るからと言ってそれを認めるわけでは無い。最新の注意と繰り返しが必要なのだが、それでも出てきてしまうのだ。エラーの信号は予測された形で発生することがある。焦っていると目がくらんでそちらに走ってしまう。

ボスに「死ね」と言われたこともあるが、幸いにして今、こうして戯言を書いているくらいだから、命は繋がっている。挽回して、先の報告を取り消し、そして正しいデータに置き換えていく。勇気が要るがやらねばならぬ。そうやって致命傷を負う経験が必要なのだが、それを見過ごしたり、故意に見逃したりすると、全ての人が不幸になっていく。全て身から出た錆である。最新の事をやっているのだから、挑戦と敗北はつきものである。丁寧にこつこつと、馬鹿正直に進んでいくのが良い。撤退も必要だ。

組織が大きくなって、にっちもさっちもいかなくなると、北のでっかい国の暴挙みたいなことが、研究室レベルでも発生する可能性がある。これくらいは良いだろう?が積み重なっていくと、いつの間にかとんでもないことになっているのだろう。経験が無いから解らないけれど、共同研究などはそれを阻止する有益な活動である。自らの成果の第三者評価を常に受ける体制は、研究者を育てることにもつながる。常にみられていることを恐怖することを忘れてしまったら、もう研究者は辞めるべきだ。そう思う。