全ての職業において、ジョブ型雇用になっていくのでしょうね。それをしみじみと感じるのです。研究者は研究に専念ということなのでしょうけれど、国力が無い時代において、それぞれの大学が同じようにというわけにはいかない。事務組織の在り方も大きく変わっていかないといけない。他の部署が誰をどのように幸福にしているのかを理解しつつ、自らも同様に、自らが存在しているから誰かがどのようにか、変化していくという実力を持っていないといけない。自分は何が出来るという自己評価は意味が無い。他社に依る感謝、尊敬の在り方が、ジョブ型の結果である。
親方が要求していることに、学内の研究成果をベンチャーを通して社会に還元させろということがある。学生でも良いのだが、いずれにせよ、研究成果を起業を通して社会実装せよという。技術経営の知識などゼロの人達だから、そこは国がお金を出してトレーニングをしますからねということなのだが、そのトレーニングをする人達が、小生から見ると旧態依然の方々で、まぁ、米国の有り様などを見てきたら大丈夫、任せなさいということなんでしょうけどね、任せられるものか。
研究の在り方も、ふわっと何にでも応用できますみたいなアウトプットでは駄目で、誰か・何かが明確にこう変わりますという、達成すると明らかになる目的が明示されていないといけない。そこが、大学のミッションによって変化するところなのだけれど、何処の大学が好き勝手やって良いという時代も過ぎ去っていく雰囲気だ。親方に従わなければ「さようなら」を言われる時代。徳川幕府と外様大名の関係性みたいなものだ。徹底的に力を持っていないと、会話すら出来ない。
先日の小学生の希望就職先というネタがあったが、何を職業にさせて頂くにせよ、何処かの大学を卒業したから企業に就職できるということでは無くなっていくだろう。単に知識や経験がありますというだけでは、それは「過去の人なのですね」とレッテルを貼られる為の自己アピールに過ぎない。挑戦する意欲、学び活用する意欲、そして何よりも快活に行動できる健全な肉体が必要となる。学び活用する意欲に応えるプログラムもそれぞれの大学に必要になるだろう。組織そのものがジョブ型になっていく。そんな時代を実感している。