新興とは

ベンチャーやスタートアップという単語を見ない一日は無いという状況になってきた。それはそうで、中堅・中小企業殿には技術があってと言うお話も良く聞く。それも事実なんだけど川下企業からの図面を指示通りに造り上げる技術はすさまじい。動く部品をミクロンオーダーで組み合わせられるように仕上げることは、単に大型工作機械を購入したから出来るという代物ではない。が、図面そのものを発想しているわけではない。何故ならばその必要が無いからだ。

発想せずにお金を儲け続けるとどうなるかと言うと、木の根っこに引っ掛かって兎を手に入れた猟師となる。思考しなくて良いわけだからね。そうやって、大企業の傘下に無意識に組み込まれ、自社技術をオープンにせず、ホームページには何処何処社製の機械が何台ありますという展示会をやらかすわけだ。どんな価値を生み出すのかを売らずに、形状を作り込みますということを売りに出す。買いやすい体制であるのも間違いない。同じ機械を他社も持っているから、もうちょっと安くしろと言いやすい環境を受け手が作っているわけだ。

となると、新規アイデアが出てこないわけだし、そもそも50歳過ぎの中老の皆さんが、30歳よりお若い方が欲する何かを発想できるはずはない。アイデアが無いのだから製造するのは古くからある自動車の部品と言うことになる。半導体産業に参入したいので、お前の名前を貸せとかね、言って頂けるけど、それは無理です。名前を貸すのが無理では無くて、自動車業界の方々に半導体業界が欲する0.1nmの世界のものは造れないと言っているだけだ。

そんな今ある究極の世界への挑戦では無く、次世代の皆さんが楽しめる産業構造・社会構築にはベンチャーやスタートアップの発想が必要なのだ。そこには単にお金だけでは無く、それを社会実装させるまでの技術の伴走が必ず必要だ。そこを増やして、今ある技術の承継、そして発展というところが必要だから若者の起業が必要なのですよということだ。ゾンビは駆逐される時代である。それだけのことだ。