入試の度に思う

共通に試験を行って上から順に入りたいと思う大学に入る権利を得ていく。入試とはそんなところであろうか。将来、どんなことの開花するかも解らない、個人に属する機能が何か全く解らない内に、それまでに学んだ、ほぼ、統一的な学習の習得度によって振り分けられていく。多数決が好きな国民性故に、とんがった才能をつぶすのが好きで、類似の方向性に向かおうとしていると、年齢上位者が下位者を引きずり落としたりする。

それ故に点数と言う便利なものを採用しているのかなと思ったりもする。芸能などはその範疇では無いのであろうが、まぁ、見えない世界に対して推測などはばかばかしいのでやめておく。入試のテクニックとは恐ろしいものだが、思考の論理性と言うか、あいまいさを許さないという点においては、鍛えたものが上位に行くのだろうなと思う。それは努力によって身につくからだ。と考えてみると、他人より努力をした成果を評価しているのかなと思うと、入試と言うものも捨てたものではないなと思っても良いのかもしれない。

しかし、遺伝的ものというか、図抜けた何かというものもあるのだと思っている。政治的だったり学問的だったり、奇才というか天才と言うか、そんな「才」はあるのだと感じている。そんな者が入試でこけて、世にうずもれてしまっている事例が、我が国では多いのではと思ったりもする。国民の数にしては、天才的事例が他国に比べて少なすぎるような気がする。勿論、みんなで渡れば怖くないというか、皆で渡れと強要してくる社会の仕組みがそうさせるのかもしれないけれど。

過去は過去。これからやってくる未来に対して、過去を土台にし過ぎるのでは無いかなと思ったりもするが、一つの才能だけ図抜けされて世の中に放り出したら、それはそれでとんでもないことをしでかしそうな気がしないでもない。一芸入試みたいなものがいつの間にか無くなっていっているのは、それを採用した大学なりがなんらか思うところがあったからであろう。多くの大学が固有の入試を設けているのは良いことだと思う。それがその大学が約束している社会へのアウトカムズを生み出すにふさわしい者の獲得と育てる責任を果たせるのであれば。入試の度に振り返る。悔い無きように頑張って頂きたいと思う。死ぬほど学んで欲しい。それだけだ。