年度という概念は官位任命が出来た時からあったわけだから、それこそ中国四千年の積み重ねの歴史があろう。日本はその半分くらいだろう。個人が生まれ持って得ている才能に加え、努力の結果身に着けた機能、そして磨いた才能をもってして、その人にしか出来ないことをやって下さいねというのが官位である。それが権力だのなんだのになっていって、それらに宗教団体が取り付いて、国政まで動かすようになっている。ちょっと話がずれたが、年度が変わるといろんなことが変わる。
移動官職組織においては、事務組織のトップが変わってしまったりする。小生的には思い切った「その人にしか思いつかない」変革に取り組んで頂きたいと思うのだが、古い組織に新規リーダーがやってきた時に生じることは、旧態依然勢力の徹底抗戦である。「これが我々のスタイルなのだ」という化石が風化する程の古い意識で、新進気鋭を踏み倒そうとする。そこは支えるべき人が支えるわけだが、旧態依然勢力はかなり強い。それによって組織として取り残され、手の施しようが無い状態になってしまう。それは避けたい。
声の大きい旧態依然殿達に申し上げたいのは「気が付いたらその年齢になってしまっていたのでしょ?」ということだ。つい昨日、おふくろに手を引かれて桜の樹の下を通ったと思っていたら、棺桶に両足を突っ込んでいる始末。自らを成長させる自らの学びを継続しないと、あっという間に旧態依然の罠に陥っていく。他人の成長をひがむ前に、自ら成長を続けないといけない。その機会は様々、用意されている。学べないと嘆く前に、学ぼうとしない自らを叱責するべきである。
摩擦を恐れる気風がある。「ほうれんそう」の欠如など、正にそんなところからであろう。小生は、甘やかし育てるやり方は嫌いである。真の甘やかしは、倫理観を成長させることが出来る人間に育つことを心底助けることである。それさえ骨格として獲得させたら、後は環境が知恵を授けるであろう。その中において、何を成すべきかを自らに問い、自らが仕事を創造していけば良い。あっという間に時間は過ぎるが、時間は全ての人に平等である。誰も時の長さに文句を言えない。そう思って今日も過ごすことにする。