賢者の足跡を辿らせて頂くと、自らの思考がみすぼらしく、悩みなど馬鹿々々しく、更に努力を積み重ねなければと勇気を頂けるからもの凄い。だからこその賢者、偉人ということなのでしょう。その生誕の地に立ち、お名前の由来を体験し、そして正しく伝わる伝承を隅から隅まで拝見し、また、生きた伝承者からのお話も頂戴しすることで、漸く、その足跡の偉大さを体感し実感する。そして顧みることで、明日からの勇気を頂ける。
名古屋市って凄いなと思うのは、ちょっとステアリングを握ると、そんな素晴らしい地に、それこそあっという間に着いてしまう便利な環境にあるのだ。護らずに打って出る。素晴らしいところだからと言ってそこから外に出ないと、結局は取り囲まれ滅ぼされる。三英傑の偉大さだが、甲斐の信玄公も同様に外で戦い続け、内に籠ることが無かったからこそ、その時代においては発展がったのだろう。
何をもって賢者なのかは、その方の行為をどのように捉えるかなのだが、後の世に顧みて、どんな立場の人から見ても、それは素晴らしい行為えあったと認定される時、その方は賢者と呼ばれるにふさわしいということになろう。その方は殆どその地では暮らしては居なかったということなのだが、生存中、何度かは肉親を訪ねてこられたということだし、自らのお名前の由来を瞼に焼き付け、人の為に生きるのだと思われたことだろう。
こんな狭隘な街が活気にあふれ、ハイカラを感じたのだが、土地のアンバサダーの方のご説明をお聴きして、成程なと思った次第。何かの序に立ち寄るという場所ではないし、賢者の名前は遥か昔から存じ上げていたにも関わらず、その足跡を辿ることに思い至らなかったのは、実に不便な地であるからだ。明治の世では相当に栄えた土地であったとのことで、見事なだんじり祭りを偶然に拝見し実感できた。まだまだ歩くべき場所がある。生きている内に歩き回ろう。そうあるべきだ。