てっちゃんと言えば、様々な形態の鉄道オタクを指し示す用語であろう。もつ焼きを思い浮かべる氏もいらっしゃろうから「あろう」とさせて頂く。小生も僅かだがその気があるのだが、お仕事が私事を許さないので、鉄道旅を楽しもう等という行為はとんとしたことが無い。したことがないので、生きている間にやってみたいなと、最近、思うようになってきた。そして、鉄道ってこの先、どうなるのだろうとも思っている。
鉄路の保全、車両の安全点検はとてつもなくお金が掛かる。当然、公の助成が無ければやっていけないわけで、住民サービスの公共事業としての色合いを強く感じる。土地の獲得にせよ、凄まじい資金が必要だ。そこを安全を担保する整地を行い、鉄路を通す為に、どれだけの知識と資材が必要になるのか。そして新規技術開発が必要になるのか。超低床電車などは技術革新は物凄く、都市部での自動運転技術開発よりよっぽど気が利いていると思うのだ。
社会経済的には個人がじゃんじゃか給料を稼げて、高額消耗材、即ち自動車に金を掛けろと言うことなんだけど、日本の街中でそんなもん、必要かなと、ガキの頃から思ってきた。必要な時だけに借りて、普段は要らない環境にありたいと思うわけだ。まぁ、自動運転で何処かに連れて行って欲しいから、その手の技術開発はやって欲しいけどね。名古屋などは市電を地下に埋めてしまって、とっても勿体ない事をしたものだと本気で思っている。我が物顔で人を跳ね飛ばす自動車だけがもてはやされる事に嘔吐する。
人中心のものづくり社会を考えたい。どんな人を喜ばせるのか。どこで喜んでいただくのか。そんな思想を三つ子の魂から擦り込んで頂いて、小学校では人に暖かい国ってどんな国とかね、そんなことを考えて頂いて、中学校ではそれを経済的に満たす為にはどんな政治家がどんな政治を成すべきかを実戦的に学び、高校生では法律をどうすればそんな国になるのか考え、大学ではそれを実行するための技術・ルール・サービスをニュービジネスとして実践する。20年以上掛かるが、技術ってそんなもんでは無いかしら。そう思うのだ。