散り際

大雨で散った桜を懐かしみながらというか、来年を楽しみにしようというか、ソメイヨシノの見事さだなと、豪快な地理際に「こうありたい」と思うのは小生だけではないだろう。見事な散り際と言えば、ピンピンコロリだろうが、これはなかなかにして難しい。

例によって研究室の大掃除のお話になるのだが、数年来、通電させていなかった機械が反応しなくなっていた。いろんなものの下敷きになっていて、存在すら忘れてしまっていて、電源を入れても無反応。箱を開けてみるとガラス管ヒューズがあり、その両端が湿って白く濁っている。錫メッキが酸化して半導体状態となっている。これでは起動しない。

ケース内部の鉄のネジにも錆が来ていたから、湿度がそこそこ溜まってしまっていたのであろう。通気口を塞いてしまっていたことと、通電して温度を上げなかったことが要因であろう。磨いてスイッチを入れると元気に動き出した。これなどはピンピンコロリではなく、病床からの復活というところか。

天気予報を見ていると、どう見ても梅雨前線と思わしき空気感であるが、大雨が峠を越えるということは、梅雨では無いということか。四季を感じなくなってはいるが、桜だけは春を想わせてくれるのだが、その期間の短さが気候変動かと思い込んでしまう。往生際を綺麗にしたいものだと思うのだが、こればっかりは難しい。そんな想いで散り行く桜を眺めた。